いわゆる「現代文」の教科書に載るような短い文章や詩が数十作品収録。
一作品に一問、欄外に問題がある。
一緒に挟まれた小冊子にその問題の解説があって、文章に関しての考察を深めることができる。よって他者の書いたものに対しての読む姿勢を鍛える。
「読む姿勢」とは小冊子の解説によって間違った読み方をしている場合、見事に修正がなされるはず。
現代文の勉強はひとえに「読みまくること」と信じている人が多すぎる。そうではない。筆者の意図とは別の方向に進んでしまったら、それは筆者の文章を読んでいるのではなく、自分の考えを進めているだけに過ぎない。
現代文とは他者の書いた作品に対してどれだけ読み取ることができるか「考察力」を鍛える教科であり、文章中に「書かれたもの」をヒントにどれだけ自分に取り入れることができるかがポイントとなる。
単に読むだけでは自分独自の偏見が付きまとって自分の都合に良いように捉えてしまう場合が多い。
読み物の中に、他者の意見の中に自分を入れてはいけないのだ。文章を読む場合は
自分の考えを一切捨てて筆者の考えを根っこっから抜き取る作業が基本中の基本。
よく数学が得意な人が現代文は答えがたくさんあると勘違いし、苦手と判断してしまう人が多い。数学が得意な人ほど現代文が得意なのである。
数学をやるのに
1+1=2
が絶対であって「3」や「11」であってはならないように、国語にも論理的な答えがあってこその問題であるので、文章を分解すれば誰もが納得いくような絶対的な答えが導き出せるようになっているのだ。
芥川龍之介が
「文芸家たらんとする中学生は、須らく数学を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。」
と言っているように、文芸作品は理路的でなくてはならないので問題に使用される文章は当然その通りになっているものである。表示されている記号が「数字」と「文字」との違いだけであって両者の違いは然程無いのだ。
だから計算練習をやって計算の精度を磨くように、たくさんの文章を読んでその度に考察をして解説書と照らし合わせ、考察の精度を磨いてほしい。