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ノーミソ刺激ノート

書評やスポーツ、言語に関することを書きます。

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理想主義が成立しない理由。(二者択一で二者を択ぶことが馬鹿な理由)

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理想主義はなぜいけないかというと、
非理想(死などの不幸)に目を背けることだからである。
簡単に言えば

AとB、どちらかが生きるにはどちらか一方が死ななければならない

と言ったようなどの瞬間にも起こりうる二者択一の場合、
最近流行っている答えは、
「嫌だ、両方助ける」
と言った答えである。
このような答えを持っている人間は、
爆笑問題の太田氏(テレビ番組の『太田総理~』)や
最近では劇場版のガッチャマンでそういう発言があったようだが
結論を先に言えば、
二人助けて万々歳☆
ということは無理なのである。
そういうやつはそもそも
二者択一
の意味が分かっていない。

人間の活動には限界があるのである。
そういう二者択一の場合、
たとえば自分の力が100あるとする。
Aを助けるのであればAに対して100の力を出さなければならないということ。
助けを呼べばいいのか。そうしたら二者択一ではない。
たとえ自分と同じ100の力を持った人間に助けを呼ぶ場合、
助けを呼ぶのにも時間や体力がかかる。それを含めての100なので、
助けを呼ぶのが最小1だとしても、99(自分)と100(助っ人)では二人を助けるのに必要な
200の力は得られない。二人以上の助っ人を呼ぶにも同じことだ。
そもそも二者択一なのに、それ以外を選ぶことが間違いなのである。
宇宙は無慈悲なのだ。

それでは二者択一の際に、二者択一という思考できないのはなぜか。
彼らの思考回路は
「不可能を可能にする」
というのを聞いたことがあるというやつである。
しかし「聞いたことがある」というだけで
「考えたこと」はない人間がほとんど。

「不可能だったことが可能になった」
ということが、確かに人類の歴史上には存在する。
ではそれはどういった状況にありうるのか。

たとえば人間の文明
(安全で安心な自宅、時間に正確で無事故の日本の新幹線、人類の宇宙到達など)
である。
それでは本来は不可能だったものを可能にしたのは何故?

歴史的な失敗と試行錯誤のおかげである。

つまり圧倒的時間がかかる。
そういった大量の犠牲を払って、そのままでは不可能だったことが可能になっている。

よって「二者択一で二者を択ぶ」のと、「不可能を可能にする」
ということは同じ次元にない。

いわれてみれば簡単なことであるが、なぜそれがわからないのか。
それにも理由がある。
人間には欲望があるからである。
「二者択一だけど、両方とも択べるよ」
と言われれば、
「え!そんなことができるの!?」
と尻尾を振って喜ぶ。
しかしそんなことが可能かどうかを考えたことのある人間は
千に一人もいないので
できるんなら信用してみよう。
となる。
つまり聞いただけで考えてないということ。

これを読んだ皆さんは、1000ある中の999から1になれたでしょうか。

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