受験では古典は軽視されています。
ということはまじめに勉強すている人は少ないってことですよ。
英語の勉強量と比べて短時間で点数が稼げるから点数の割合は意外と大きいとか、いろいろメリットがあるそうですが、そんな受験テクとか何とかなんてつまらないこと言ってたら楽しい人生が台無しです。
テクニックのTECというのは手先のこと、技術論です。
勉強の技術なんて言うのはちょっと聞いたらわかることなんで置いといて、勉強の本筋はコアですよ。
心が震えるような内容であれば無限に続けられるんです。
無限に続けられること、それは遊びでしょう。
受験勉強のために古典をないがしろにするのはあまりにもったいない。
ただみんながそう思っているからこそ、そこがガラ空きなのです。
例えば今、英語を一生懸命勉強したところで、それがものすごく好きで、寝る間も惜しんで勉強するのが楽しいという人以外はそこまで勉強しなくてもいいのです。
しかもお金になる、出世につながるという理由で勉強するなんて論外。
英語や英会話、翻訳ができる人って殆ど女の人ですよね。それはそもそも言語能力が男とは違うわけですよ。それを言い訳にはしませんし、言語は好きですけど。
そういう数々の理由があって、嫌なのに勉強しなくちゃいけない科目というのは、高校生くらいになったらさっさと捨ててしまっていいと思います。
私はそれでも言語自体に興味があって高校の頃は英語が嫌いでした。
理由は英語教育が悪いから。納得できなかったんです。文法教育のあの感じが。
そういう人は多いと思います。
だから先生がよくないとかそういう問題もあるので、興味があるけどうまくいかないという人はガンガン本を買って読んじゃいましょう。
本を読むということは本来余暇を持っている人がやることで人間の普遍的な遊びなんです。
学校と関係ない所で学力は伸びる
浪人生の時に英語の本を片っ端から買って、数ページ読み横において、別の本を取って数ページ読んで横においてということを繰り返していたら英語って面白いじゃんと思えるようになったのです。
つまり色んな人の意見や表現を読むことでバチっとくる自分の英語に対する考え方が勝手に湧き出てくるんです。
ですから本は一冊を精読する方法もありますが、それが納得できない分野の場合は乱読しまくることをお勧めします。
楽しいはずの英語の世界が、たかだが普通の学校の先生の取るに足らない英語解釈で留まってしまうのは哀れでなりません。
その分野を面白いと思う人がいるということは確実に面白いので、そのはずなのに面白いと感じない場合はそれを提供する人や本が悪いだけなのでそんなのは捨ててください。
今のような学歴社会は、じきになくなります。というか今も滅びつつありますよね。
テレビで殊更、東大、京大と言って崇め奉っているのは学歴がプライドであるテレビマンだからこそです。
彼らは肌身で学歴のブランドが崩壊しつつあることを知ってるんですよ。
だからこそテレビの視聴者層である馬鹿を味方につけようとしてるんです。
憐れなもんですよ。
これからは絶対に学歴は関係なくなります。
それよりもどれだけ自分が遊べるかです。