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ノーミソ刺激ノート

書評やスポーツ、言語に関することを書きます。

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中国古典と日本古典。

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古典に関していろいろ書いてるけど、その辺はあんまり反応薄いんですよね。

まあ当然ちゃ当然だけど。

でも一番自分に知識があるのが哲学で、次に古典(特に中国)だからその辺について書くのが一番自然だし、すらすら書けるのも事実。

例えば枕草子に

香炉峰の雪いかならむ。

(香炉峰の雪はどうであろうか)

 っていう白居易の詩をもとにした行があるけどこれを楽しめるのって古典を共通認識としてるからです。要するにこれも一つの単語みたいなもので、漢字一つ知ってるような感じに近いと思うんですよ。ここで使われてる言葉の情報量は漢字一字とそんなに変わらなくて「スダレをかかげる」ってだけの話

雪の大徳寺高桐院 書院

 

香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥げて(かかげて)看る(みる)。

こんなのは日本文学やってればみんな知ってるようなことですが古典常識を知ってないと難しいし、かといって常識というほど受験に出てくるようなこともない。

たまに高校の授業でやるって話を聞いたことあるけど。

 

高校生でも自由に働く人が普通になります - ノーミソ刺激ノート

 

漢文は訓読みするときに入れ替えながらパズルみたいに読むってことは中学三年でやるようなことだけど、大学院ともなると当然、白文(返り点なしのそのまま)で読むわけです。

 

知識と知性の違い - ノーミソ刺激ノート

 

しかも注釈なしで、現代人なら数名しか読んでないようなものを読むことだってあるから、一文字読むのに一週間とか一か月かかるとか、それでも結果間違ってたとかザラなんですよ。

だから速読なんかできやしない。

 

速読の落とし穴 - ノーミソ刺激ノート

 

じゃあどうやって読むかといったら言葉というのは古いものという前提に立って出典(言葉の元ネタ)を知ってないといけないんです。 

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