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ノーミソ刺激ノート

書評やスポーツ、言語に関することを書きます。

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ジブリの純文学、高畑作品の読み方

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今更『借りぐらしのアリエッティ』考察 - ノーミソ刺激ノート

 

アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

『火垂るの墓』を理解する


岡田斗司夫ゼミ4月15日号「本当は10倍怖い『火垂るの墓』~アニメ界の怪物・高畑勲監督追悼特集」

 

『火垂るの墓』って性質上、観込むことができないんで気づかなかったけど、冒頭と終わりってそういうことだったんですね。私自身も人生に於いて重要な作品だとは思っていますけど、見ていて苦しいのでしっかりお読み込むことができない作品だったんです。ですから子供のころを含めて数回しか見たことがありません。

代表的に読んでいて苦しいのは『苦海浄土』ですね。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 
石牟礼道子『苦海浄土』 2016年9月 (100分 de 名著)

石牟礼道子『苦海浄土』 2016年9月 (100分 de 名著)

 

 

100分de名著のテキストがよく出来てるって話 - ノーミソ刺激ノート

 

こういう風に読書でも何度も読まないと内容が分からないってことがよくありますよね。作者からしてみれば力を入れて作ってるからわかって当然だって思うんでしょうけど、冒頭の灰皿って、そういえば何だろうとその時は思うけどどんどん進んでいくから忘れちゃいます。

死に掛けの清太におにぎりが置かれたというのも、そういえばちょっと気になってたなって思ったんですけどたしかにそうですよね。でもこういうのって無意識に何となく気づいてることだと思うんですよ。納得できるのって。でも言語化しないとちゃんと理解することができない。

野坂昭如との話も言っていますが、こういうのってそういう関連書籍を読まないとわからないです。ですから何でもその作品だけで満足して評論しちゃまずいんですよね。

文学的に理解する

冒頭で言ってますけど、なんで感動してるかわからないっていうのは我々は何となく、清太が人間性を失っている状態だということを無意識で察知してるはずなんですよ。でも何となくあの顔が悲しい表情だと後で自分で再解釈してしまっている。

これは西田幾多郎の「純粋経験」だと思うんです。純粋経験って要するに「主客未分の状態」と言われるんですけど、理解をする前のそのままを感じた状態のことなんですね。自分と世界(他者)を分けて考えていない状態です。

禅 (ちくま文庫)

禅 (ちくま文庫)

 

西田自身は禅を実践しているので禅宗から理解してもわかりやすいと思うんですけど、バチンとそのまま「純粋経験」の状態だったら作品そのものの伝えたいことって感じるんだけど、変に言葉を覚えてしまっている我々は勝手に客観的に理解してしまっている。他者と自分を区別していない状態から再解釈してしまっているんです。この状態が主と客を分けてしまった状態です。ですから「主客未分の状態」って時間としては一瞬なんですね。だからこそ文学を理解するためには何度も読まないといけないというのがあるんです。

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

 
西田幾多郎―生きることと哲学 (岩波新書)

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西田幾多郎の思想 (講談社学術文庫)

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西田幾多郎 無私の思想と日本人 (新潮新書)

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善の研究 ─まんがで読破─

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本を何回も読むのはなぜか。 - ノーミソ刺激ノート

鈴木さん自身も爆笑問題のラジオで言ってた気がしますが、高畑さんを芸術家、宮崎さんをエンターティナーと言っていましたが、確かにそういうくくりができる作家なんですね。

 

純文学に入る前に読みやすいものを読もう(お笑いにも通ず) - ノーミソ刺激ノート

 

芥川賞と直木賞の違い - ノーミソ刺激ノート

 

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

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ジブリの哲学――変わるものと変わらないもの

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