ノーミソ刺激ノート

書評やスポーツ、言語に関することを書きます。

宗教団体と頭の良し悪し

子供でも宗教が何となくわかるのはなぜか

子供心にも何となく宗教性が分かるじゃないですか。素朴な「死んだらどうなるんだろう?」っていうやつです。

私は中学の頃、私は宗教に否定的でした。バカバカしくて科学的じゃない宗教的な話は社会的に否定されるんだろうと思ってました。けど、案外変わってないんですよね。

否定されるだろうって思ってたってことは、それだけ宗教に関心があったってことなんですけど、宗教に関する知識はそれなりに増えてきました。で、結局宗教に関する認識で変わってると言ったら、それにかんする言葉の量が変わったということでしょうか。

これってなんでかと言ったらそもそも人間は宗教的動物なんですね。人間であれば宗教感覚は持ってるんです。

 

Religion「宗教」の語源 - ノーミソ刺激ノート

 

この辺のことは『サピエンス全史』にも書かれてます。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

『サピエンス全史』と『吉里吉里人』を並列読み - ノーミソ刺激ノート

 

サピエンス全史は周辺書籍も面白い。 - ノーミソ刺激ノート

 

宗教には興味あるけど、宗教団体というのは頭のいい人でも馬鹿でも同じ宗教を信じているのは何なんだろうって思ってたんですよ。

 

宗教は怖いって本当?宗教なんかないと思っている人へ。 - ノーミソ刺激ノート

 

だって本を読んで少しでも利口になったと思ったら世界観が変わる感覚があるじゃないですか。世界観が変わっている人と、対して本を読んでいない人が同じ世界観で生きてるとは到底思えないわけですよ。これは何かおかしいと思ってました。

 

本を1000冊読むとどうなるか - ノーミソ刺激ノート

 

例えば仏教の場合は子供でも分かるように仏教説話っていう形で教えます。要するに「おはなし」です。

一方、「おはなし」だと頭のいい人は何か物足りませんよね。もっと精密に考えたい。そういうものは仏教哲学として細かく言葉にして考えます

前者の日本人が分かるものは「月上女経」(げつじょうじょきょう)。

後者の代表的なものは『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)です。

「月上女経」は「かぐや姫」(竹取物語)の元ネタじゃないかと言われてるものです。

高畑勲の「かぐや姫の物語」は最後は仏さんがかぐや姫を月の世界に連れていくじゃないですか。あそこで「え?仏教の話なの?」と思った人も多いでしょう。

かぐや姫の物語 [DVD]

 

ジブリの純文学、高畑作品の読み方 - ノーミソ刺激ノート

 高畑勲のことを宮崎駿は「教養が圧倒的」と追悼文でおっしゃってましたよね。

 

「月上女経」は正確には頭に「仏説」がつきます。

この「月上女」というのは『維摩経』の維摩(ゆいま)の娘らしいんですけど、この『維摩経』というのも仏教説話っぽい本です。

 「香りだけで認識する世界だったら」という風に別の認識が支配する色んな宇宙に行っても仏教はそれぞれぼ別の仕方で仏法を解くんだという事が書かれています。

『維摩経』を読む (岩波現代文庫)

『維摩経』を読む (岩波現代文庫)

 

こういう風に別世界や別の宇宙という風なSF的要素が仏教に限らず宗教にはあるんですね。

 

つまり宗教というのは抽象性が高い話、ざっくりと世界を認識する話なんです。

それではよくわからないという知的な人のために哲学が生まれました。仏教でもそうですし、西洋哲学はまんまキリスト教神学ありきです。

 

知的な仏教本『正法眼蔵』

『正法眼蔵』は道元が著した仏教書です。

曹洞宗という比較的貴族や武家の人たちに信仰された宗派で、知的レベルが高いんですね。ですから一回に回読んだくらいでは意味を把握しきれません。

 

たくさん本を読むと起こる良いこと - ノーミソ刺激ノート

 

でも結局仏教のことを言っているので、大体仏教はこんなもんだということが分かっていれば、案外分かったりします

 

仏教入門 (岩波ジュニア新書)

仏教入門 (岩波ジュニア新書)

 

 

けど言葉が難しいし、厳密に考えられているものですからついていくのが大変です。

つまりこういう風に言葉で説明してくれるから哲学なんですね。

本当かどうか知りませんがハイデガーも読んだと言われています。彼は「存在論」がテーマの哲学者で主著は『存在と時間』です。

 

存在と時間(一) (岩波文庫)

存在と時間(一) (岩波文庫)

 

 ハイデガーは元々神学部から哲学に転じた人で、親父さんも教会の管理人みたいな仕事をしてた人ですからガチガチのキリスト教の人です。

 

大学で哲学を勉強するということ - ノーミソ刺激ノート

 

仏教と存在論のどこに関係があるかといえば仏教の中にはしっかり存在論があるんです。「空」(くう)と「色」(しき)ですね。

ハイデガーは存在論を時間の概念とともに論じました。それは紀元前から20世紀までの西洋哲学の総括のようなものなのでここでは割愛します。

『正法眼蔵』では章立てになっていてその「有時」(うじ)の章で時間論が述べられています。

別々の宗教だとは言え、結局人間が興味を持つことなので同じような問題を取り扱っているんです。

宗教における知能差

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キリスト教も初めは知識人ばかりのものでしたけど、いつしか改革が起こって大衆向けのプロテスタントとができましたよね。

仏教も初めは知識人が理解できた小乗(上座部)があって、後に大衆向けの大乗ができたのと同じ事です。

なんで知的レベルの差があるのに同じ宗教に属するかといえば、宗教自体に知識は関係ないからです。

宗教学や神学というように「学問」になると言葉によって人に説明しなくてはなりませんから知識が問題になります。

だから初めに体系立てていくには知識人が中心になりますが、宗教自体は自分ただ一人が信じていればいい世界なので知性は関係ないんです。

ですから一般人に説法(説明)をするお坊さんは知識を持ってなくてはいけませんが、聞いてる側は納得できればいいだけですよね。

 

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