ノーミソ刺激ノート

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「一を聞いて十を知る」方法

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勉強する上で必ず聞く「一を聞いて十を知る」っていうのはどういう状態なんでしょうか。

 

私はこれを聞いたのは小学生の頃でしたけど全く意味が分かりませんでした。

「世の中にはそういう天才的な人がいるのか、自分はそうじゃないのか」

と残念に思った経験があります。

 

が、そんなことはないんですね。

世の中の人はこの言葉をよく知らずに使っています。

出典は論語。

論語 (岩波文庫 青202-1)

以下はその内容。

ほとんどの人は読んでもわからないものです。

現代語訳だけ読んで他は飛ばしてください。

子謂子貢曰。女與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾與女弗如也。
 
こういてわく、なんじかいいずれかまされる。こたえてわく、や、なんあえかいのぞまん。かいいついてもっじゅうる。いついてもっるのみ。わく、かざるなり。われなんじかざるなり。
 
【現代語訳】
孔子先生は子貢に尋ねるに、お前と回(顔回)とはどちらが勝るか。答えて言うに、「私(賜:子貢の名)がどうして望めましょう。回は一を聞いて十を知る。私は一を聞いて二を知るのみです。」孔子先生曰く、「そうだな、私もお前と一緒だ」
 
簡単に言うと、顔回は孔子の弟子の中で一番出来のいい弟子です。
現代日本でもよくいわれる
 
「一を聞いて十を知る」
 
と言われた人ですから、天才的な人でした。
 
こう聞くと顔回が「天才だ」っていうだけで終わってしまいます。 
それじゃあ勿体ないでしょう。
 
どうして「十を知る」ことができたのでしょうか。
顔回は既に九を知っていたんです。
論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 
ドラえもん はじめての論語

ドラえもん はじめての論語

 
現代語訳 論語 (ちくま新書)

現代語訳 論語 (ちくま新書)

 

 

そこに孔子の一が加わって連鎖反応的にそれらがくっついて
 
「それってこういう事ですよね!」
 
と答えたはずです。
 
高校生くらいになればそういう経験をしたことが大なり小なりあるでしょう。
ですから皆さんもそういう見込みはあるんです。
 
知識とは構造的なものなので、何もない所から湧き出ることはありません
 
顔回はバラバラに偏在していた九の知識が既にあったんですね。
でもそれらが繋がっていなかった。
 
孔子に一を教えてもらった時にそれらが繋がって興奮したことでしょう。
孔子さえも
 
「わたしはそんな顔回に及ばない」
 
みたいなことを言っていますが、それはそれほど顔回がすごかった。
 
九を知っている、すでに準備ができているくらいの勉強家だったという事です。
決して謙虚にそんなことを言っているのではなくて孔子は顔回ばかりをベタ褒めしています。
 
本当にすごかったんでしょう。
孔子はあくまで教育者でした。
 
頭はよかったですが顔回ほど集中的に知識の収集に力を入れたのではないというだけの話でしょう。
 
知識とは何がどうなってくっついて利益につながるか分かりません
 
メダリストや何か業績を残した人が
あくまで結果です
というようなこと言っているのを聞いたことがあるでしょう。
 
あの方たちは決して謙虚にそう言ってるんではないんです。
本当にそうだからそういってるんです。
 
努力はしたでしょうけど結果的にどうなるかなんて人が知る由もないんです。
 
「目指すメダルは?」
 
というのがどれだけ野暮かわかりますよね。
 
「これ」という結果を追い求めていたらロクなことになりません。
ゴールを決めずに身体の最大限を賭けるのがスポーツマンでしょう。
 
結果を見込んで結果通りになったんなら
「こういう結果になるようにそうしました」
と言っている人が数人いたっていいじゃないですか。
 
でも聞いたことがないです。少なくとも私は。
いたとしてもそこまで大きな成果ではないでしょう。
 
学校教育で国語科が小説を少なくして実用的な文章を多めにするという話を聞きました。
英語を小学校で必修化するというのもそういう事の一環でしょう。
 
 
そして実績のある研究、利益の見込める研究だけ優遇して他の基礎研究を蔑ろにする傾向もそうでしょう。
 
人間が現在理解できている範囲内だけで政策判断するとろくなことになりません。
これが国力低下につながると嘆いている教育関係者が多いんですね。
 

 が、割と私は楽観的で、学校教育自体が崩壊していくと見込んでいます。

学校だけが教育の現場ではありません

 

もちろん研究となると研究する場所、研究する人が集まる場所が必要です。

現代の学校制度がきれいさっぱり無くなるとも思っていません。

 

高水準の教育はネットにある。 - ノーミソ刺激ノート

 

しかしもうすぐ「この研究には儲けが見込める、この研究には払わない」とかいうセコイ財務管理はなくなっていくと思いますよ。

 

何だってそうですけど人が見通せる未来なんてタカが知れています

目先の生産性ですべてを知った気になるのはマズいんですよね。

 

お金は国だけにあるわけではありません。

教育は国だけにあるわけではありません。

 

昔は情報の大本である本が貴重でしたから古くはお寺でしか学べませんでした

が、それから印刷が普及して学校教育になっていきました。

 

でも今はネットで色々勉強できるようになりましたし、自分自身で教育を選べる時代になりました。

 

だからこそ選べる力(リテラシー)が必要なんですけど。

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