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ノーミソ刺激ノート

書評やスポーツ、言語に関することを書きます。

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頭のいい人ほど断言しない理由

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頭のいい人は断言しません。

「これは〇〇だ」

という感じで断言してしまうとリスクが生じるからですね。

 

たくさん知識や経験がある人は物の味方を多面的にとらえることができますから、あらゆる問題を断言することはできないんですね。

 

色んな本を読んでいればわかることですけど、一つの問題に対して一見、反対の意見でありながら読者である自分が両方納得できるという事が多発します。

 

もしくは表現の仕方は反対だけど結果的に同じ意見だという不思議な状態もあり得ます。

どういうことかといえば言葉というのは抽象的なものなので、突き詰めれば突き詰めるほど確固たる表現ができないんです。

 

ドイツの哲学者ウィトゲンシュタインは

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫)

 

といいました。これだけ聞くとよくわかりませんけど、要するに「答えの無いことは言語化できない」ということです。言語化できないからこそ喩えるんです。

 

これって実際にこれでもかっていうほど言語をアウトプットしていかないと実感できないことなんですよ。

 

普通の仕事をしていたらそうそう感じることはできないです。だって30代までは基本的に一度言われたわれたことをタダタダするだけじゃないですか。

 

場合によっては60,70の引退まで自己表現しないまま終わることだってあるでしょう。むしろそういう仕事のほうが多いかもしれません。

 

日本人が直接的な表現を避ける傾向があるのは集団的な社会が成熟してるからです。

人の気持ちを察するんですね。ですから自分の意見は一方的だという事を勝手に悟るような文化構造になっています。

 

日本語に一人称が多いのはなぜか。 - ノーミソ刺激ノート

 

これは一方的な見方では美徳になりえます。

「こういう所が美しい」と断言できます。が、世の中に正解はありません。

 

日本のこのような成熟した文化の構造だからこそ、自分の意見がどういうものなのかも発見することができません。

 

一方ブログを毎日書いていれば数か月もすればこの感覚を簡単に味わうことができます。世の中には言葉で説明できないことがたくさんあるんですね。

 

ブログを書いている人は一人で書きますから周囲に気を遣う必要はないんです。慣れていない場合はあいまいな表現をしてしまいますが曖昧な表現は面白くありません

 

何でかといえば無意識の中で読者は全員、事の曖昧性、混沌性を知っているんです。

言葉にしてないだけです。

 

文章を書くことはその混沌を切り取って一つの秩序(言葉、ロゴス)を作ることですから、文章は基本的に断言でいいんです。

 

そもそも世の中には断言できるようなことがないんです。

あるとすれば自分の感情についてくらいでしょうか。デカルト的ですね。

 

Je pense, donc je suis. - ノーミソ刺激ノート

 

このブログもそうですけど断言していることが多くあります。

ブログのようなメディアの場合は断言するくらいのほうが言葉として力があるからです。そうでないと意味がないんですね。

 

断言すれば、読者の中で「そんなことないだろ」というツッコミの感情が芽生えますその感情の芽生えが重要なんですね。

 

武器としての書く技術 (中経出版)

武器としての書く技術 (中経出版)

 

 

ブログの場合は読んでは次の記事の繰り返しですから無限に色んな意見を読むことができます。読み慣れている人ほどあらゆる記事を読みまくります。

 

ですから一つの記事で断言したところで読者はそれだけを信じることはありません。

安心して断言しまくりましょう。

 

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