「真面目」は悪
本をたくさん読む人は、真面目に読んでいません。
真面目に読んだら疲れるからです。
ふざけているというわけではありません。
日常的に読んでいるから「力が入っていない」ということ。
「日常的」に読む場合は、何となく読むといいです。
真面目に読んでしまってはいけません。
普段読んでいない人は読書自体が非日常です。
だから力が入ってしまうんですね。
だから、それをやっていること自体に緊張感を持ってしまいます。
緊張感を持つと、余計な力が入って覚えられませんし、長時間読むことが出来ません。
慣れないときは仕方ないことではあります。
慣れない本を読む場合は事前に
「ダイジェスト版」
「マンガ版」
を読むことをおススメします。
私も今でも新しく読む本のテーマでは緊張します。
そして、ついつい一字一句を真面目に読んで、新しく出てきた単語を覚えようとしてしまいます。
そんなことしても忘れる時は忘れますから、ずいずい読んじゃったほうがいいんです。
大切な単語であれば、他の本を読んでも絶対に出てきます。
人生においても、真面目に生きている人は一つの問題に関して考え過ぎてしまう傾向があるじゃないですか。
一つの問題なんて大したことないんですよ。
人生をナメてしまって、次々と進んでしまう人のほうが変なことに悩まずに進めます。
もう一度同じ問題にぶつかっても、問題は大概なんとなく覚えています。
だから、その時はその時で対処法を撰ぶようになります。
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「まじめ」がダメだというのは一つの本や一つのテーマをその瞬間にわかろうとする「ケチ」な精神の表れだとさえ思います。
「ケチ」っていやじゃないですか。
私もそうなんですけど。
だからこそ、そういう気分を改めて、ザックバランに色んなものを読むことを習慣づけたほうが良いです。
例えば、太宰治が嫌われているのは、そういう一々の問題に粘着的に取り組んでいるからですよね。
逆にいえば、そういうのが滑稽だし、共通点がある人がいるので人気なのもあります。
嫌うのも、自分のそういう所があるからこそ嫌うっていう話が有りますが、本当にそうだと思います。
数をこなせば「真面目」にならない
でも読むこと自体が毎日のことだと、そんなに力を入れることは無くなります。
ですから、はじめの内は力を入れて読んでしまうのは仕方のないことではあります。が、意識的に肩に力を入れずに何となく読むことで、頭にスムーズに入ります。
乱読、併読いいですね!
— KEC@読書失敗@ブログ@リライト中心モクモク (@kec_twitt) October 26, 2018
真面目に一字一句読んでる人が多い。
漱石だって、『草枕』の中で
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
と書いてます。
真面目に読んでも続きませんよね。
『草枕』のこの一説に関しては以前も記事で書きましたが、漱石の読書感覚を表したいい所だと思います。
漱石は東京帝大の英文科の先生をやってましたから、当然英語が当時トップレベルにできました。
しかも大学に入る前に二松学舎で漢文をやってましたし、最後の未完作品の『明暗』執筆中に漢詩も書いていました。
漢詩が「書ける」だけではなく、それも日本漢詩の中でもトップの出来でした。
ですから当然、漢詩もたくさん読んでたわけですね。
それは草枕を読んでいてもいくつか漢詩が出てきます。
つまり日本文学史の中でもかなり本を読んでいます。
その漱石が「いい加減に」読むことを推奨してるんですから、我々もそうすればいいんです。
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