「宗教」を語らない「宗教」が流行る
これからAIが発達して、どんどん人間は働かなくなるでしょう。
そうなると、宗教が流行るのは必然です。
今まで多くの人が働いているわけですが、「労働」によって人は働くことを生きることに直結させます。
- 労働
- 収入を得る
- 食べる
- 生きる価値を見出す
という風に繋がるからですね。
人間は食べるだけでは生きる価値は見出せません。
しかし、AIが発達して収入が労働しなくても得られるようになると、
「労働」が「生きること」と関係が無くなります。
人間は生きる理由を「労働」によって、「家族のため」「子供のため」につなげている人が多かったんです。
アリストテレスは「人間」を「社会的な動物」(ゾーオン・ポリティコン)だといいますが、人のためになってないと「生きがい」を見つけられず、生きる意欲を失ってしまいます。
しかし、働かなくても「家族」など、身近な家族のためになることに繋がらなければ「生きがい」の行方を見つけられなくなる人が増えるでしょう。
「心」はお金では満たされないからですね。
今だって「高学歴ニート」やら、普通のニートが増えています。
昔はそんなことはできませんでした。
「働かざるもの食うべからず」
という言葉がありますが、本当に食えなかったからですね。
「三年寝太郎」
という昔ばなしがありますが、それは、
庄屋の息子が3年間ずっと寝てたけど、3年経ったら、突然治水工事をした。
息子は3年の間、その構想をずっと練っていたのだ。
という話。
それは経済的に余裕のある庄屋(地元の権力者・名主)だったからできた話です。
でも今では限られた経済的余裕のある人でなくても、そういう風に引きこもりになれるから、社会問題になってるんでしょう。
実際は問題でも無くてなるべくしてなったんです。
働かなくてもいいんだったら働きません。
ほとんどの人が結構そうでしょう。
でも今もほとんどの人が学校を卒業したら働いています。
それはあくまで、家族や社会からの圧力で働いている人が大体でしょう。
でもそれが無くなったらもっと働かなくなるでしょう。
過去の遺産で働かなくても食える余裕が生まれたってことですね。
その最たるものが、AIですよってこと。
でも、経済的に余裕が生まれても、心は満たされないことはよくある話です。
ではどうすればいいかといえば、宗教にハマるんですね。
なぜ宗教かといえば、「簡単に心が満たされるから」です。
宗教の教祖というのは、ほとんどがその人のことを「認め」ます。
流行りの言葉で言えば「承認」ってやつですね。
「ほめる」という言葉が流行ったのも、アドラー心理学の影響です。
人間は人に存在価値を認めてもらいたい「承認欲求」があるから認めてあげましょうっていうのは、よく講演会、自己啓発本とかで書かれていることです。
それは重要な事なんです。
子供は何が何でも「承認」してあげないといけません。
幼児期は親から「生きていい」という、アイデンティティを培うために「基本的信頼感」を感じる必要があります。
「基本的信頼感」(エリクソン)という言葉が教育学で1年目に習う言葉ですけど、世の中には家族からもどこからも認められない人が多いんです。
そういう心の隙間に
- 「あなたのままでいいんだよ」
- 「世界に一つだけの花だよ」
と言ってくれたら、心が落ち着きますよね。
これはお金では満たされない欲求です。
そういうものは人間には必要なんです。
それは働いていればそれが満たされました。
子供がいれば子供のために働く。
家族のために働く。
そういう「仕事」をすることで宗教は必要性が低下しました。
共産主義が「労働」をアゲて、「宗教」を「アヘン」呼ばわりしたのはこういう力関係が働いてると思います。
労働すれば「生きる意味」などを唱える宗教は必要なくなるからですね。
だからこそ宗教は必要ですし、人間の生活の根本だと思います。
嘘でも教祖になれる
東大卒だの、色々なウソをついていた塚本簾さんですが、実際は中卒だったそうです。
別に中卒だっていいんですけど、「17社起業」など実績も嘘をついてたんだからいけなかった。
そういうことを白状したのも関わらず、
「簾さんは簾さんです!これからも情報発信してください」
とのコメントが相次いでいるという。
⇓画像です。
これは要するに、
「今のままでいたい!」
「現状を維持したい!」
っていう「現状維持バイアス」ですよね。
身体的にもホメオスタシス(現状維持ホルモン)が働きます。
人は急な変化に対応できないんですね。
今のままが続いていれば問題ないのであれば、変える方がリスクになりますから当然です。
政治でも「革命」を望むのは、よっぽど生活に困窮した時ですよね。
そうでなければ現政権が有利なのは当たり前のことです。
でもほとんどの人は、そこまでバイアスがかかりません。
これは何でかというと、それよりも抽象的な世界に生きているからです。
人にとって「特別な存在」になるには時間がかかります。
塚本氏は時間をかけてこういう風に人を「励ます」ことによって、「特別な存在」になれたんでしょう。
「特別」ということは「具体的」という事です。
ほとんどの人にとっては塚本氏は「ただの人」です。
しかし何度も彼の言葉を聞くことによって「馴化」(馴染む)して、特別な具体的な存在になります。
「抽象的」というのは、以前の記事にも書きました。
「抽象的」とは、簡単に言えば、 「大きい視野でものを見ること」。
たとえば、
- ゴールデンレトリバー
- チワワ
- シベリアンハスキー
これらをそれぞれの「犬種」としてみることが出来ますが、抽象的(大きな概念)にとらえれば「犬」ですよね。
この中にアメリカンショートヘア(猫)が入れば、 四足歩行の動物 ペット化された動物 というように括る(抽象化する)ことができるでしょう。
さらに「人間」が入れば「動物」にできます。
つまり、情報が集まると、それぞれをまとめる力が生まれるんです。
【読書法】多読するとIQが上がる - ノーミソ刺激ノート
「塚本簾さんを信じたい!」
という気持ちは、はっきり言って馬鹿だからなせる思考なんですけど、それは具体的に「簾さん」がこの世に1人しかいない、特別な存在になってしまっているからです。
しかし、そんな特別な存在というのは、親族とかでない限り、普通は無いんですよ。
これを読んでいるほとんどの人も塚本簾なんて人の存在は知らないだろうし、すぐに忘れる、ただの詐欺師でしかありません。
じゃあどうすれば、そういう宗教にハマらないかといえば本を読むほかありません。
読書は心の空間を満たしてくれます。
しかしほとんどの人は本を読めません。
自分の宗教本を読ませる方法
読むのはしんどいからですね。
でも簡単なものなら読める。
だから、オリラジの中田さんや、キンコン西野さんをはじめ、「数分で読める本」を無料公開してるわけです。
本は、もともとコストをかけて出版するものですから値段が付くのは当たり前です。
しかしそれが「無料」となると、突然「お得感」が生まれるんですね。
しかし彼らは本を書くことで儲けようとしているのではありません。
「読ませること」
で、特別な存在になろうとしてるんです。
キリスト教を広めるために『聖書』を無料配布されていたりしますが、もう古代からある宗教である者の経典を無料でもらっても「お得感」は得られません。
これは『聖書』では出来ないことですね。
あれは読んでもらうために置いてあることですが、実際はほとんど読みませんよね。
もう既に無料で読めることが当たり前になっているからです。
しかし、読み手は張り切って「無料だから読まなきゃ損!」って思って読むと、その言葉が心に染み入ってしまいます。
特に普段本が読めない人はそうでしょう。
「今までこんなこと聞いたことない!」
と感動する内容になっています。
普段、思想書、哲学書を読んでる人からしたら当たり前だろって内容ですけど、それは難しいじゃないですか。
しかも簡単に読めて達成感があるから読んだ本人は1冊読めた!という勘感も得られます。
それで
- 「読んだら元気になった」
- 「気分がすっきりした」
となります。
でもこういう事態を止めることはできません。
なぜなら、人の考え方にしがみつくのは人の欲求だから。
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