ノーミソ刺激ノート

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"I love you"が「月がきれいですね」と訳せる理由

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〈日本哲学〉入門講義

日本人の考え方

夏目漱石が「そう訳せ」といった話は結構有名です。

日本人に心情としては「わかるなぁ」とは思うでしょう。

ではなぜ、そう訳しても「わかる」のか。

それは、

 

「日本人の考え方が『主客未分』だから」

 

「主客未分」(しゅきゃく みぶん)とは、

「自分」(主)と「相手」(客)が分かれていない

ということ。

 

これは哲学者の西田幾多郎の作った言葉です。

善の研究 (岩波文庫)

善の研究 (岩波文庫)

 

 

つまり愛を語る時に、

「私が」「あなたを」「愛してる」

というように説明的な言葉を必要としないで、そのまま、

 

「月がきれいだねぇ」

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という「様子・印象」を、そのまま、ドンと「一緒になって」感じているんです。

これは日本語の特性にも表れていて、

 

  • 一人称が多い
  • 「主語」が無い

 

ということが関係しています。

分かりやすいのは「一人称が多い」ということ。

英語には”I”しかありませんが、日本語には「私・俺・僕…」など物凄い種類がありますね。

 

なぜなら、相手によって関係が変わるから。

英語は絶対的な視点、日本語は相対的です。

【関連記事】 

日本語に一人称が多いのはなぜか。

 

「視点」の違いがわかりやすいのは、川端康成の『雪国』の冒頭は、原文ではこうです。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 

この状況は、カメラが列車の中に有って、徐々にトンネルを抜けて、真っ白になっている映像が浮かび上がるでしょう。

一方、英訳はこうなってます。

 

The train came out of the long tunnel into the snow country.

(列車は長いトンネルから雪国に出た。)

 

これはカメラが列車とトンネルの上にあって、「神の視点」から見ている感じでしょう。

日本語の場合、もうひとつ西田幾多郎の言葉でいうと「ものとなってものを見る」ということ。

 

つまり対象と離れずにそのままを見るってこと。

 

日本人の感覚は、そのものの視点に立つ感覚が自然です。

英語の感覚では、普遍的な視点から見るのが普通なんです。

だからこそ、英語には「主語」という、大きいものが文には必要なんですね。

 

雪国(英文版)―Snow Country (タトルクラシックス )

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日本人が作る「場所」

「主語が無い」っていうのはピンと来ないかもしれません。

しかし日本語には「主語」があるわけではないんですね。

 

「私は太郎です」

という場合、「私は」が主語だと教わった人が多いかもしれません。

しかし、実際はそうではありません。

 

「私は」は「主語」ではなく「主題」なんです。

 

  • 「主語」:述語と関係している、繋がりが深いもの
  • 「主題」:その後の語と直接結びつかない、トピック。

 

つまり「主題」は「場所」なんです。

ですから直接関係はありません。

 

日本語の「~は」というのは「主語」ではなく「主題」、つまり「トピック」を表します。
「トピック」の語源はギリシャ語の「トポス」(場所)。

 

つまり「~は」は、言語的な「場所」を開く呪文です。

これに関連して日本語に独特の表現があるんです。

それが

 

  • うなぎ文:「僕はウナギだ」
  • こんにゃく文:「こんにゃくは太らない」

 

「僕はウナギだ」という場合は、メニューを店員が「何にします?」と聞いたら、そう答えて問題ないでしょう。

でも英語にすると

 

”i am eel”(私はウナギです)

 

と、「お前人間だろ」と突っ込まれてしまう変な文になっちゃうんですね。

英語の場合は、主語と述語がピッタリ合ってるからです。

 

しかし日本語の「僕は~」の場合は、それを言った時、次のものと繋がっているのではなく、「僕は」の空間、場所が広がるだけ。

 

「こんにゃく文」も似たようなことです。

これは、「僕は」「こんにゃくは」という日本語は「主語」ではなくて、そのことを「主題」として話しているってこと。

 

大きく「場所」を提供しているだけで、次の言葉にガッチリ関係しているわけではないんです。

 

じゃあ何で「日本語には主語が省略されてる」って変な言い方をされるかといえば、「言語学」という学問自体が英語圏からの輸入だから

ヨーロッパ語圏では主語があって当然です。

 

だからその前提に立ってしまうと「省略されてる」ように見えてしまったんですね。

日本語はそもそも、ヨーロッパの言語のような言語体系じゃないんです。

 

日本人の考え方は「自分がどうした」ではなく、「一緒の感覚にいる」ということが「愛する」理由なんですね。

【関連記事】 

日本語が世界で難しいと言われる理由 

 

日本語に一人称が多いのはなぜか。

 

【語彙力アップ】日本語の歴史について 

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