ノーミソ刺激ノート

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専門書が読み難い理由

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論文の書き方 (岩波新書)

読者が「プロ」だから

専門書が読めない理由は、基本的に論文を書くための人が読者だから。

いわゆる「学術書」「専門書」とは、プロが読むためのものです。

 

それにはそのための工夫がなされています。

具体的には、

 

  • 専門用語で字数を削減
  • 常識を省いて字数を削減

 

つまり、専門書はたくさん書くことがあるから字数を削減しなければ、長々として読みづらくなります。

 

逆に一般人でも読める本は専門用語、つまり漢字やカタカナを基本的な日本語の「やまとことば」に変えて、感覚的に分かりやすくします。

 

つまり「日本語だしその分野に多少は詳しいから読めるだろう」って思って読んでみても、「全然分からない…」ってことは十分あり得ます。

 

誰でも初めは専門家ではありません。

とにかくそれを知りたい、基礎から知りたいって場合は、そういう言葉や、もしくは漫画を使われているものから読みましょう。

 

大学院生でもそういうものを読んでいる人は結構います。

 

出版することが前提

専門書っていうのは「論文」の可能性もあります。

そういうものは本屋さんでは素人が読むものと隣り合わせに置かれてることが意外にあります。同じ分野だからしょうがないんですけどね。

 

だから併せて買われるんですけど、読みやすさは天と地ほどの差があるってことがあるんですね。

見た目は同じような装丁でも、中身が全然違うので、立ち読みをしましょう

 

「将来的に読めるようになろう」

「とりあえず買っておいて、調べながら読もう」

 

っていうのであれば買ってもいいでしょうけど。

本にする場合も、字数が多いと一冊の本にまとめることはできません。

 

本をできるだけ売るには巻数を増やすと売れにくくなるっていう都合がある場合もあります。

 

本じゃなくて、ただ雑誌に載せるにしても長々と書いていると評判が悪くなります。

読者も専門家ですから「そんなこといちいち書くな」と、イライラするんですね。

「プロ・アマ」の違い

大学生の卒論レベルだったら素人ですから、2~4万字を書くのにその時数を埋めるのに必死という事があるでしょう。

それは素人だから。

 

プロは、その専門家ですから書くことが無限に出てきます。

つまり発想は逆転する。

 

「質を上げるにはまずは量から」

 

っていう言葉がよく出てきますけど、本質はそういうものです。

たくさんの量があると仕事の仕方を根本から変えなければいけません。

 

本を1000冊読むとどうなるか - ノーミソ刺激ノート

 

そういう仕事の仕方の変化によって少数化がなされて、希少性が増すんですね。

プロの個性とはそういうものです。

 

学問に限らず、プロと素人の差というのは考え方が逆転するという事がよくあります。

「プロか素人か」と考える時にはそういう所を見ればいいですね。

 

だから字数をドンドン減らして一冊の本に情報を詰めます。

専門外の人からしたら全然分からないんですね。

例えば哲学の入門書の場合は、

 

  • 古代ギリシャ語
  • ラテン語
  • 英語

 

などの西洋の言葉がカタカナで載っていたり、本当に中学生でも読ませるようなものは日本語訳しか載っていないことがよくあります。

 

しかし専門書は逆に原文をそのまま載せて、訳文さえも載っていないことがあります。

訳を載せていたら字数がもったいないからですね。

 

後は変な訳をしてしまったら変なところで上げ足を取られる可能性もあるんですけど。

っていうようないろんな理由が絡んできます。

 

「論文」の読み方【誤読で地獄を見ることになる】 - ノーミソ刺激ノート

 

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