教育学。ウチの親は教育学を勉強せずに子育てをしていたようです。
これを知らずに自分は育てられていたのかと少し損した気分にもなりました。
もう少し勉強してくれたらこんなにならなかったのに!と、『創世日記』の、のび太のような事を思うわけです。
が、思えば昔から比べれば現代人ははるかに文明、科学の発展のおかげでかなりの恩恵にあずかっているので腹を立てる必要はないのです。
しかし勉強してみると「過去の親に勉強してもらいたかった」と思うもの。でもそれを親に勉強させてもらっているんです。
勿論、最低限の教育は受けさせてくれましたが自身が教育学をちっとも勉強していない。精々幼児教育の本をチラッと見た程度でしょう。
教育の基本はコミュニケーションであり、コミュニケーションとは発信者が受信者に
行動をとらせたい行動を取らせたら初めてコミュニケーションが成立するわけです。
たとえば、親が「勉強しろ」といって例え子供が勉強をしたとしてもいやいや勉強するのとすすんで勉強するのとでは雲泥の成果があるわけです。
親が「勉強しろ」といって勉強をさせる場合、いやいや勉強させる気があって言う親は少ないでしょうし、勉強に対する成果は最大効果であって欲しいと思うはずです。
しかし、「勉強しろ」といったぶっきらぼうな言い方では大抵、その成果は見込めないでしょう。その時点でディスコミュニケーション(伝達破綻)が起こっているわけです。
前にも孔子を例に書きましたが教育者(親)は被教育者(子)に伝わるように伝えなければならないのです。
当然、このことは勉強だけではなくあらゆる面で起こっているはずです。99%の親子が。
でもこういうことって勉強するのに時間もかかるし基本的な高校までの勉強をした上でやるという贅沢な大学生という期間じゃないと学べないんですよね。
- 【2018/04/24追記】
- この時は大学卒業後自分が就職する気持ちだったのでこんなことを書いていますが、そのうちBI(ベーシックインカム)が整えられて自分で進んで勉強できる人が多くなると思います。