ノーミソ刺激ノート

読書やスポーツ、言語に関することを書きます。※本ページにはプロモーションが含まれております。

広告

中国人と中国哲学のギャップから

広告

[予想読了時間2分]

中国人のブログを徘徊していると、
中国人は過去の自分たちの国の
生み出した哲学、文化を
誇りに思っている人が多い。
自分たちの国を
礼儀の国と
呼んでいる人も多い。
笑うのはまだ早い。

確かに中国哲学、文化は
私も度々ブログで話題に出しているし、
論語』は特に多くの人が読むべき
良書中の良書だということは
間違いない。
が、それは
中国の昔の文化人が生み出したもの。
言い換えれば
超エリート層である。
文化は余裕を持った層が形成する
のは大前提。
食事以外にお金と時間が使えるからこそ
文化が形成されるのだ。
そして
中国は未だに絶望的な格差が続いているので
文化の継承者は
超エリートということが変わらない。
中国人のエリート層は
非常に礼儀がよい人が多い。

日本の場合、
中国から輸入した文化を取り入れて
それを一般人にも浸透させた
その中でも重要なものが
中国哲学
論語は広く日本人に読まれた。
今はほとんど読まれていないが、
読んでいた世代が
その考え方を継承しているのと、
日本の伝統的な
「日ごろの行いがよければ~」
という思想とが相まって
中国哲学をよく吸収したのだろう。

中国の哲学書は
あんなに素晴らしくて
日本人には馴染みのある考え方で
実践者が比較的多いのに対して、
今の中国人と中国哲学
大きなギャップが見られるのは
人と文化。そこにある。

文化には
知識を要するものと
そうでないものがある。
中国の大事にしている文化は
ほとんどがハイカルチャーと呼ばれるもので、
昔の頭のいい連中が作ったものなので
非常に要求される
知識教養レベルが高い。
だから経済的に格差があると、
知識教養差も生じるので
文化的にも格差が出来る。
一方、日本のハイカルチャー
やっぱり一部の知識層にしか
継承がされないが、
最近日本が売りにしている
漫画、アニメなどの
サブカルチャー
非常に簡単なので
馬鹿でも食いつくことが出来る。
つまり、
馬鹿でも日本は経済格差が少なく
余裕があるから、
多くの人が文化を満喫することが出来るのだ。
文化は余裕を持った層が形成する。
日本の場合、
それはエリート層に限られたものではないのだ。
しかもその人数も多いので
洗練されやすい。
洗練されると知識層の人間も
それに喫するようになる。
そしてさらに洗練される。
そして洗練された上に
ものすごくわかり易いので
海外にも人気が出るのだ。

要するに
文化≒国民。
その国の文化だからといって
そこの人が
その文化レベルに達していない
場合が多くあり、
それは中国と日本に
限られたことではない。
所属されるものの文化を
誇りにするのもいいが、
自分の個人文化、教養レベルを
上げなければ
所属の誇りは成立させるべきではない。
それを理解しないと
個人と集団のバランスが取れない。

関連コンテンツ スポンサーリンク