ノーミソ刺激ノート

読書やスポーツ、言語に関することを書きます。※本ページにはプロモーションが含まれております。

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色んな教科を勉強するのはなんで?

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「教養」というのは「教え」の「栄養」だと認識してます。
栄養がたくさんあることで枝葉がすくすくと育ち、生きる上で優位な立ち位置を確保しやすくなる。

例えば、長い間少子化が叫ばれているけど、根本的な問題というのは女性が社会進出したことなんですよね。
(そもそも「社会進出」という言葉を使うと女性が社会から離れているようで好きな言葉じゃないんですけど)
私は女性の社会進出を反対していませんけど、少子化問題を取り上げるときにこの根本問題を無視しているTV番組が多いこと。
女性が社会進出した原因というのは大本は男尊女卑的思考からなる男が女の価値を見誤ったからでしょう。
でも見誤られた女にも原因があり、結局はなるべくしてなった歴史的結末に思えます。

つまり責任なんか感じなくていいんですよ。つまらないことに。

なっちゃったもんはしょうがないので冷静に見ましょう。

政治的見地からみれば少子化問題を抑える手立てを考えなくてはならないので、この現象を否定してかからなければならないんでしょうけど、歴史的見地から見れば先に書いたとおり、過去に問題の種があって、その種子が発芽したまでなのでなるべくしてなった歴史を観察するまで。

それがだいぶ前にも書きましたけど、政治学は未来、歴史学は過去をそれぞれ担当しているということです。
両方の見方を覚えることで政治は勉強するとムナグソ悪くなるとか、歴史は勉強しても役立たないとか、個人の気持ちの負担が少しは緩和されることと思うので知識は多岐に及んだ方がいいんです。

が外で働く外で収穫を得る収穫によって個体の生存を確保するということが重要視されすぎです。

昔はそうしたほうがよかったというだけです。

が内で働く子が育つ子が育つことで集団の生存を確保する

ということを視野に入れていない馬鹿が多いから少子化になったんですよ。
つまり
男は現在(個)を守り
女は未来(団)を守る
ということ。
男の収穫の確保は現在の個体の生命維持に役立ち、女の子育ては未来の集団の生命維持に役立つ。
そんなこといったらまた馬鹿が現れて女が仕事をしたいなら男が子育てをすればいい「イクメン」(育児をするメンズ)も流行ってるし。
といいますが、当然、それぞれ個々の事情があるでしょうから、やむを得ずそうした家族体制を営むのが最善という場合は、そうしたらいいでしょう。
最善なのであれば最善の結果が生まれるので全く問題はありません。
ただし、オスとメスの生物学的見地を持っているかいないかで人生の判断基準が大きく変わることを覚えておきましょう。

まぁ
最近は「女子会」で慰めあったり、
本来持っているはずの「女子力」が
減退した事によって
そんな言葉が生まれているので、
行き過ぎた流行にももうじき歯止めがかかるでしょう。

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