「学ぶ」の日本語としての語源は
「まねぶ」(真似ぶ)で
真似をすることが学ぶことなんです。
漢字の「学」は旧字体だと
「學」
と書いて「爻」は文化と人との交流それを挟む「臼」は大人、教師の手、「ワ」冠は教壇、建物「子」は子供を指して一つの場で人と人が交流して学ぶもののことです。
”Study”はラテン語 ”Studium”で意味は「熱意、熱中」そこから「学ぶ」に変化しました。
同じ「学び」ですが、捕らえ方はまったく違うんですね。
NHKの「スタンフォード白熱教室」で起業家のための授業をやってましたけど、完全に”Study”をしていました。
何人かが集まって”Brainstorming”(ブレインストーミング)をして”Mindmap”(マインドマップ)を作ったりしてました。
あの手法は「まねぶ」では考えつかない手法です。かといって「まねぶ」を否定するつもりはありません。
”Study”には今までの知識経験を参考にするまではできても全く新しいものを作ることが前提としてあるので「真似」をし辛い構造になっています。
”Study”は問題に対してどうやって解決するか、新しい方法や仕組みを作り出す作業に向いています。
"Quest"(クエスト)と"Question"(クエスチョン)の語源 - ノーミソ刺激ノート
「学び」というものは過去に出来上がったものを作り変えたり組み合わせを変えたりして完成度を高める作業に向いているのです。
社会的ルールを作り出す”Study”が有利なのは違いありませんが、一方で「学び」の必要性も否定できません。
まぁ日本人には”Study”を取り入れたほうがいいと思いますが。