「虚学」と「実学」
多くの人は「虚学」というものを聞いたことがないと思います。
これは哲学、数学、言語学、宗教学など、それ自体を学んでもお金にならない、実践的に役に立たない学問のことですね。
これらの学問に進んでしまった人は一般的に就職に不利とされています。
でも虚学(文学、歴史学、哲学、物理学、数学)
を勉強できるって、国家にいくらか余裕があるから出来ることなんですよ。
役に立たないですからね。
↑のオレンジの保坂さんの本は実学側のひとの意見です。
ただし圧倒的に楽しいからそれをあるレベルまで進めたら人を楽しませることができるのでお金が手に入るんですね。
じゃあ、そこに進む多くの学生はどうなるか。
今のご時世、就職できないんです。
私はサラリーマンになる気がなかったので哲学を勉強して大学院まっで行きました。
哲学を4年生までやると気づくことがあるんですけど、4年まで真面目に勉強しても前線哲学の「て」の字もわからないまま終わります。
これは私が特別頭が悪いとかではないと思うんですよ。どんなに懸命にやっても4年程度(実質2年ですけど)では何にもわからないまま終わります。
私は大学院を三年までいましたけど、一応そこまで行って一応満足しました。
よく専門学校が「就職率」を売りに出してますけど、当たり前です。
あれは実学中の実学手に職を付ける学校なんだから、どんな人間にもその人の必要性が分かるんです。
就職したいなら実学に進むほうが効率がいいです。
なぜなら道具として採用できるからですね。
誤解を恐れずに言うなら実技を持っている人は道具です。
極論ですけど、そこにAIが食い込んでくる可能性があります。
人間性について
人間性だって大いに関係していると思っても、それは仕事のための潤滑油としての社会的な「礼儀」のような関係性ですよね。
人間性を問われるときはいつだって部活や会社のような人間が関係している所です。
つまり一人で仕事をしている人はそこを問われません。
なぜなら仕事さえできていればいいからですね。
むしろ人間同士の衝突が起こる可能性があるので、それが無く、ロボットが仕事を進めてくれれば、ことはスムーズにいくわけです。
ホリエモンがライブドアをやめてフリーになった時に「人を雇っていることがコストになる」みたいなことを言っていました。
実際彼は無駄な人間関係やモノをできるだけ持たなくなっています。
昔はヒルズに住んでパソコンで仕事をしていましたが、逮捕後は定住するところも、パソコンも持っていないと言っていました。
仕事はスマホで十分だそうです。
どんなに信用している人でも小さな横領(交通費を貰っといて自転車で行くのも小さな横領)をするわけです。
交通費くらいなら怒られるだけで済むかもしれませんが、中くらいの黒に近いグレーゾーンをする人だっているわけです
もちろんそうじゃない仕事もあるでしょう。だから極論です。でもそこに属する仕事は多いはずです。
一方、虚学を学んだ学生が人間性が優れているかと言ったらそんなことはありません。
そもそも人間性とは何だっていう話になりかねませんけど、大概は
「仕事のために円滑に進めるだけの技量がある人」が「人間性が優れている」
と言われるんでしょう。つまり礼儀がある人です。
礼儀というのは人間関係上の作法ですから、それが無ければ意味がありません。
例えばブログなどの文章上の礼儀というのは、ちゃんと読めることです。
そういう文章上の儀礼がなっていないと読みづらい、不親切な文章になります。
けど、虚学の連中がどうやって就職してるかっていうと、文章が書けるかどうかなんですよね。
つまり人に伝えなければ必要性が分かってもらえない。
人間的な魅力とは
私は人間的な魅力は「何が話せるか、書けるか」だと思っています。
言うまでもなく、書けない人、話せない人は別のアピール方法があるので例外とします。
つまり何がアピールできて、他者を楽しませるかだと思ってます。
となるとエンタメになるんですけど、エンタメは別にワーワーキャッキャいえるものだけではないんですよ。
私は純文学の小説や詩、または哲学書なんかを読みますけど、十分楽しんでいます。
そういう狭い範囲のところであっても、楽しい分野、エンターテインメントがあるんです。
そいつの中にどれだけのものが詰まっていて、それを吐き出すことができるのか。
入口と出口の能力が問われてるってことです。
ある特定の人に対して必要と感じてもらわないと使ってもらえないんですよ。
虚学ですからね。