教育の現場では生徒の個人を尊重しなさいっていうのが一般的な説。
確かに個人の尊重は彼らの自尊心を保護して生きることの基礎である「安心」を与える大切な物であることは確か。
尚、「いじめ」の原因はいじめる側もいじめられる側も家庭、クラス、学校レベルでの「不安」というのが通説。
ただし、個人の尊重ばかりでは駄目。個人の尊重ということは周囲がどのような状況なのかを知った上でなければ「個人」は確保できない。
受験生の皆さん、覚えておいてください。努力した人が「個人」を獲得できるんですよ。人間の「個性」というものは「過去」から出来ています。
過去にその人が何をしたかで「個性」が決まるんです。
努力しない人は努力してない個性っていう屁理屈が聞こえてきそうですが、努力しない人間は最下層の「搾取される人間」です。そんなダメ人間そこらじゅうに居るんですよ。
高校生くらい、遅くとも大学生は、自分は所詮大衆の中の一人である。という「逆説」を持つべき。
小中学生は「過去」がない。だから、先天的で原始的な「個性っぽいもの」を「個性」として持ち上げなければ「不安」になってしまうので「個性」をいくらか認めてあげる必要があります。認めすぎてもダメですけどね。だから小中は校則が厳しいんです。
つまり、人間「個性」を認識していないと不安で潰れてしまう危険があります。「個性」を獲得するために「大切な過去」を獲得したほうがいいかなと。