がむしゃらに英語やら中国語などの外国語を学んでいる人が居ますけど、そんな人に限って本人は日本語の使い方が雑だったり、そもそも言葉の中身が空っぽだったりするんです。
太文字で書いた「外国語」「日本語」「言葉」ですが、後ろの方から大切にしなければいけないんですよ。
当たり前に聞こえますけど、それができていない人が多いこと多いこと。
「言葉」とはその人そのものです。
言葉は魂です。
その人の「人となり」「道徳」「倫理」「教養」「知識」が言葉に出ます。
普段考えているることや物事の基準が無意識に言葉に出てしまうんです。
特にアルバイトでめちゃくちゃ忙しい時に同僚に対する言葉掛けで自分の無意識の内の残酷さや無知に驚くことがあります。
その残酷さと無知が私。
それに気づくことが大切です。
高校生の頃はバイトしたことなかったんで気づきませんでした。むしろ自分は優しい人間だと思っていさえしました。働くことのよる成長は物凄いものだと思います。
人とコミュニケーションをするということは言葉はあまり必要ではないんです。
日本人は外国人にビビりすぎですし、外国語を尊びすぎです。
外国語なんて勉強しないであなたの身の回りを勉強しないと駄目。
外国語学習者において最高に馬鹿なのは自分自身が自分の世界なので自分が無知で
外国語を勉強するに値しないということを知らない人です。
自分は何でも知っていて外国にも詳しいし世の中の上位に位置している人間だと勘違いしている人が多いんですよ。
特に外国(語)関係の学部の人間。外国(語、文化、文)学部とか国際関係学部とか。
皆日本のことも碌に知らない輩ばかりですよ。
中国の古典の『礼記』の「大学篇」に有名な言葉があります。
「修身斉家治国平天下」(しゅうしんさいかちこくてんぺいか)
- 「修身」 (自らの)身を修める
- 「斉家」 家を斉(ととの)える
- 「治国」 国を治める
- 「平天下」 天下を平らかにする
最初は自分自身修めなければ先に進めないんですね。
中国人の漢字の考え方って日本人と違うって知ってた? - ノーミソ刺激ノート