ジブリの原作の中では『火垂るの墓・アメリカひじき』が好きです。
ジブリに関してはこのブログではたまに書いています。
ジブリ鈴木敏夫「才能の話」がおもしろい。 - ノーミソ刺激ノート
今回はアリエッティです。
ネタバレなので讀みたくなかったら讀まないでください。
でもたぶん、こういうことを知っていたほうが楽しんで見られると思います。
全体の整理
心臓病の少年「翔」
小人の「アリエッティ」
まず端的に言えば翔はその後(エンディング後)、死んでいます。
これはほぼ確実でしょう。
理由:
- 心臓病の手術が「明後日」といっていながらその結果の情報がない。
- 劇中終盤でアリエッティの母や家族を助けるために翔が走り、心臓に負担が掛かっている描写がある。
- 別れのシーンで翔がアリエッティに「君は僕の心臓の一部だ」という。
- 翔の心臓の弱さやネガティブさを描写するシーンがありながら、回復を仄めかす描写が一切ない。
- 庭の花畑で翔はアリエッティに「滅びゆく存在」について話している。
- 物語の文脈上、翔が生きていたら基盤のテーマが崩壊する。つまり死んでいないとおかしい。
ほかにも色々ありますけどきりがないので自分で確かめてください。
理由の考察
まず1から。
物語上、手術がいつ行われるかまで伝えておきながら、その結果を観客に知らせないということは、
「結果は観客の皆様のご想像にお任せしますよ」
ということ。
物語の重要なポイントを「ご想像にお任せする」ということは、翔くんはバットエンド確実。
翔の死を明らかにしてしまったら子供向け(大衆向け)アニメには向かないから。
しかしアリエッティ自身はグットエンドなので問題なし。
もし生かしておくのであれば、絶対に「生きる」表現が表れているはず。
唯一表れているといえば、別れ際に
「君のおかげで生きる勇気が湧いてきた」
という言葉が表現されていた。
これは翔に「生きる」というポジティブポイントがあるのではなく、アリエッティ側にあるということ。
「小人族は滅びゆく種族だ」
ということを庭でアリエッティに伝えていたが、それは間違いだったという訂正である。つまり小人族は生きるということ。
そして2、心臓病の少年にわざわざ走らせ、苦しみの表情を描くということは、明らかに翔のバットフラグ。
その結果を回収していない→「皆さんのご想像」つまり・・・。
3、これは簡単。僕の心臓はもうダメだけどアリエッティは生きるよ。ということ。
さらに「ずっと」という言葉もプラスされているので自らの死をアリエッティの生きる力に託しているということ。
そして畳み掛けるように456である。
劇中で小人族はあの家族以外にもういなくなっているかもしれない。
つまり滅びてしまったかも。という危機があり、翔にもそのことを言われる。
つまりこのテーマの一つは「滅亡」。
しかし、物語終盤になって翔のような病弱な男ではなく、野性味あふれる小人族の少年が突如現れる。
彼こそが翔(滅亡の象徴)との対比となっているアリエッティのパートナーであり、子孫を残す「繁栄」の象徴である。
アリエッティは翔に自らの髪留めの洗濯バサミを手渡し、髪の毛を下す。
女が髪の毛を下すということは明らかな「女になる」ということのメタファ。
子供だった過去の自分を滅びの象徴に手渡し旅立つことで繁栄の象徴に転じ、小人の男とともに川(産道、今までの罪の浄化の象徴)を流れる。
ついでに
エンディングでやかんの上で小人カップルが居る際に立派な鯉が泳いできますが、
鯉といえば妊婦のための食品として常識ですよね。
検索したら当たり前のように出てきました。
http://mochi3.com/eatcure/category3/entry56.html
「妊婦中毒症を改善する食べ物」
ほかにも子孫繁栄の象徴、立身出世の象徴とされるようにポジティブな象徴として有名です。こいのぼりが代表的ですね。
細かいところを上げたらきりがありません。
完璧である。
後は小人族が人間であり、人間の環境が自然のメタファであるということは言うまでもない。
「借り」=「狩り」
であり、人間の行っている自然からの恵みをいただくということはあくまで自然から「借り」ているだけだということ。
小人の少年がアリエッティ家に虫の脚を渡そうとしたのもわざわざ劇中でイントネーションを変えた「狩り」という言葉に置き換えている。
(ジブリアニメらしく虫の脚でありながら瑞々しくうまそうに書かれている。)
これも今まで観客がピンとこなかったであろう「借り」という言葉は「狩り」だということの種明かしであり、少年は「狩り」ができる一人前だから、アリエッティも安心だということ。
物事の対比。
ここでは、
- 人間と自然
- 小人と人間
- 繁栄と滅亡
の対比がありありと見えますね。
小人が生きていくためには「借り」(狩り)をしなければならない。
「借り」とは人間の世界=自然界=滅亡の世界に挑戦する行為
であり、失敗(人間に見つかる)すれば滅亡に繋がる。
滅亡の世界の中に繁栄があり、それを「借る」(狩る)ことで繁栄に繋がるのだ。
だからこそ翔は滅亡の住人であり、物語上、死んでいなければ辻褄が合わない。
この三つの対比構造は一部であり、登場人物をもっと考察すればもっと深みが見えると思います。