古典とは教養です。
古典を知っているだけで周りの目はかわりますし、自分の世界観が変わります。
例えば『論語』の有名なフレーズがあります。
子曰く、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳に順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)へず。
孔先生は言った
私は十五歳で(一生かけてやり続ける)学問の道を志した。
三十歳で自立、確立した。
四十歳で自分の今までやってきたことを疑わなくなった。
五十歳で自分の一生の使命を知った。
六十歳で(他人からの受け入れがたかったことさえも
自己内で解釈して)受け入れられるようになった。
七十歳でやりたい放題やっても、規範を越えることは無くなった。
これは『論語』の有名な文句ですが人生の基準にもなる私の中で大変重要な文ですし、他の方でもそうなはずです。
『論語』は儒教の第一級の経典で、日本でも戦前まで暗記されていた本です。
現代人もほとんどの人が書名くらいは知っていますよね。
このように知識にはすぐに有益に使えるものと、一生使える知識があり、古典の下地を持っていれば、いざという時に「この人の知性は只者じゃない」という印象を与えることができます。
古典の手始めは
闇雲に論語の本を読めばいいかというとそうではなく、
簡単なものから読むことをお勧めします。
しかし、古典は一度読んだらOKというものではありません。
特に漢文や、古典は言葉足らずなものが多く、それを解釈するための学問だってあるので標準的なものから知っていく必要があります。
例えば岩波の訳注を書かれた金谷治(東北大学名誉教授)先生は中国学関連では知らない人がいない大先生です。
この本は論語全部が網羅されており、かつ標準的な解釈が載っているので専門でやる人であれば一冊持っていなくてはいけないものです。
が、逆に言えば、一般の人は全部は読む必要が無いのです。
論語は儒教の経典と書いた通り、日中韓などの東アジアでの基礎教養ですが、なんとなく皆さんもご存じのとおり、解釈や重要だと思う箇所はそれぞれ違うのです。
全二十章を丸暗記するなんて現代人には難しいです。ですから初めは漫画で読んでみましょう。
まんがで読破シリーズは本当に用できているものばかりです。
『論語』全文ではないものの、日本で人口に膾炙しているものを場面ごとに載せているので、非常にわかりやすい。
しかし古典は何度も読んで、いざという時に頭から取り出さなければならないので
金谷先生のものもさっと読むこともお勧めします。
私も全文丸暗記なんか当然していませんが、ネットでの情報で見た際、
「それってほんとうにそこにあったっけ?」
「この解釈って本当?」
と思ったときに辞書的に引いています。
中国古典は様々な解釈ができるものなので、大学の先生がちゃんと監修したものを見れば標準的な解釈を読むことができます。
逆にいろんな解釈ができるからこそ東アジアで同じ古典を大事にしているのに価値観が違うのです。
論語関連の解説本はたくさんありますが、気になったものの何を買えばよくわからないですよね。
ですので、入口は上記の二種類のものを読むことをお勧めします。