文系は個人商店
文系の研究職は個人商店に例えられます。
一冊の本や一人の人に対して、つまりすごく狭い範囲の研究をするんです。
ですから大学院生ともなると大学院の先生が知らないような範囲を研究することになります。そうじゃないと研究の意味がありませんからね。
もちろん指導教員の先生の分野とカスるところの場合が多いでしょうけど、それにしても個人の狭い範囲をやるんです。
ですから孤独になるのは当たり前です。
研究をしていて世界で自分しか分からない情報に触れることが普通に有ります。
もちろん本気でやっていてこそですけど、普通は1~2年の修士の期間中にそういう世界に触れます。
それはそれで興奮できますよね。
逆に言うと世界で自分しか知らないことだからそれをうまく、面白く、価値のあることと納得させないといけないという事があります。
孤独は孤独ですけど、研究素材は本であり、本は人です。
現代人にはわかってくれる人は少ないでしょうけど、過去の人の本を読んだり、海外の人の本を読んでも結局その人と友達になることとは変わらない筈です。
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大学院生にもなったら普通の人よりも専門的な領域を研究することになるので孤独感を感じるのは当たり前ですが、行き切ってしまえば人から尊敬されるような知能が手に入るんです。
そうなれば研究職にもつけるかもしれないし、仮にできなかったとしても、これからの時代はネットで収入を得ることが簡単になります。
簡単というのはこれまでよりもという比較の意味です。
わかりやすく文章を書くことができさえすれば、それで収入も得られるので根気よく文章を書いていくといいと思います。
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あと、精神的に不安定になる人も多いんですけど、それは不規則な生活からきている場合が多いので、早寝早起きをして体を大切にしなければ勉強に体がもちません。
ですからそれでも栄養面に不安がある場合はエビオスなどの補助を使うことお勧めします。
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以下では実際に大学院生活に入ってから2年目に入ったばかりの当時書いたをそのまま載せます。
大学院生活での話
大学院生活二年目に入って少し経ちました。
長くブログを更新していませんでしたが理由は幾つかあって、忙しかったのと、ネタがあってもありすぎて書かなかったというのが大きいでしょう。
大学入学者は国民の半分くらいらしいですけど、院ともなると理系はその半分弱くらいかもしれませんが、文系は下手すると5%以下くらいになるかも知れません。
私はその5%くらいの中に入っています。今思うのは、価値観の開きについて。
高校までは同級生は大体みんな同じような価値観で生きていて、大学生になると専門分野に分かれるから少しずつ価値観が違うなー
なんて思っていました。
大学院生になるとその何倍も開いていって今、たかだか修士課程2年目ですが人と同じ世界に居る気がしません。冗談抜きで。
専門が哲学っていうのも大きいと思いますが。
ちなみに大学院を大学の延長だと思っている人が居るかも知れませんが全くの別物です。
世の中の労働者の殆どはサラリーマンでしょう。
業種にも因ると思いますが、誤解を恐れずに言えば、その人達はもしかしたら社会との価値観の差というものをあまり感じていないのではないかと思います。
違ったら商売できないですし、団体行動が原則でしょうし。
文系の学者というものは個人商店だと良く例えられます。
自分の専門を極めないとイケナイので個性的な論文が商品なワケです。
担当の先生にも因りますが場合によっては先生との分野が分かれることも、ままあります。
大体同じであれば指導して頂けるので大丈夫だったりするんですが。
大学院の先生はたくさん勉強してるので結構大丈夫なんだと思います。
担当教員との専門の差があるんだから、他の先生の理解なんて普通得られません。
そこを論文の文学性で乗り切るわけです。
ものすごく抽象的な書き方ですが、理解してもらうように書くとなると、多分無限にかけるんです。
おっと、大したこと書いてませんが手が疲れたのでこの辺までにします。
つまり言いたかったのは、いくら書いても書ききれないし、理解もして貰えないであろう領域に来ているので書かない、書けないんですね。
今までもこれくらい書いて「下らないこと書いた!」と思って投稿しなくなったものがたくさんあります。
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