理由
書こうとしているからです。
- 「書こう」
- 「書かなきゃ」
と思ってしまうと書く拓無くなるものです。
じゃあどういう状態が望ましいかといえば
1000年前の中国の作家、欧陽脩(おう・ようしゅう)が、文章を作る場所として、「三上」(さんじょう)と名付けた場所があります。
すなわち、
- 馬の上 ➔移動中
- 枕の上 ➔寝る前
- 厠(トイレ)の上 ➔トイレの最中
ということ。
これは要するにリラックスできる場所なんです。
たくさん書くのも手。
私はもうすでに850を超す記事を書いていますが、ブログは書けば書くほど書くことが増えていくんです。
読書は読めば読むほど自分がものを知らないということに気づくように。
書くことも全く一緒なんです。
書けば書くほど自分がどれだけ物を書いていないかがわかりますし、本やネットなどで刺激を受けた瞬間にあ!これ書ける!という頭になるんです。
一日アクセス数(PV)が約300になった記録 - ノーミソ刺激ノート
ブログかかけないほとんどの人は自分には書けることがない。
もしくは書けることがあっても書く才能がないと思っているんですよね。
そもそも100%のいい文章なんか書けません。
たくさん本を読まないと文章が書けないというのは嘘。むしろ逆。 ノーミソ刺激ノート
必要なのは続けることですが毎日じゃなくったっていいんです。
私なんか大学生の時に四年間書いていましたが、その後5年以上書かずにまた書きたくなって再開しました。
それでも続けてることは続けてますし、積もり積もって現在もうすぐ900記事になりそうです。
とりあえず目標は夏までに1500記事!
書けることがないと思っているんだったらそんなことは実際起こりえないんです。
生きていたら衣食住であらゆることが起こっています。
そして何かしら思っているはずです。趣味でも家庭のことでも仕事のことでも政治のことでも何でもいいんです。
書く才能がないと思っている人も勘違いしています。誰だってはじめは文章は下手です。
例えば論文や小説を書くとなったら厳密な推敲が必要でしょうがこれはブログなんです。たかがブログですよ。まともな奴が書いてるんじゃないんです。
誰か知らないやつが勝手に書いて数100記事も書いてるんです。
下手でも書いている奴でも1年も毎日続けていれば一応読者は付きますからね。
それでも文章力を上げたいんなら1日に何記事も書くなどして書きまくるしかないんですよね。
一年書くだけでも、それだけで世の中広いので読者がいるんです。
そもそも自分の中で勝手に重要なことを書こうとしても読者は気づかないことも多いし、そもそも読んでくれないかもしれません。
でも書いているということは自分自身が読者であって、書いている自分と読んでいる自分で会話してそこから新たな発見が生まれることだってあります。
そして別の記事が書けるようになるんです。
そうすることによってストーリーが生まれます。
それを続けていくと記事数が増えればグーグル検索で引っかかるようになり、
なぜか勘違いして知らない誰かが読んでくれるようになります。
知らない誰かである読者が勝手に記事を読んで納得するので意図通りに読んでくれないことがありますが、それはそれでいいんです。
つまりブログは読者と共にあると思いましょう。
ブログに限らず文章というものは書き手だけが存在してるのではなく読み手もいて二人の解釈によって文章は存在してるんです。
ですから完璧な文章なんかいりません。
ん?何書いてるんだ?
と思われても読み手のほうで勝手に解釈してくれます。
さらに、正確に描いたとしても読み手が誤って解釈することだってしょっちゅうあるんです。
大切なことは書き続けること。
まず書いてみましょう。
そうすれば読んでくれる人がきっといます。
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