古典の中の「混沌」
中国古典の『荘子』には混沌に関する神話が残されています。
「渾沌」(字は違いますが一緒です)に対して「ここは目、ここは鼻」と分割して考えてしまうことで、渾沌は渾沌ではありえなくなってしまう話です。
分類しないものこそが「渾沌」なんですね。
荘子には、目、鼻、耳、口の七孔が無い帝として、渾沌が登場する。南海の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという(『荘子』内篇應帝王篇、第七)。転じて、物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口(目鼻)を空ける』と言う。
中国は多くの民族を無理やりまとめるだけの力があるんですね。ほとんどは力による統治ですが、日本のように(カオス)の反対を秩序(コスモス)と言います。
中国に行ってみるとわかりますが、町中がカオスです。
一方で妙な秩序が成り立っている感じがするんですね。
それはどの町でも同じだと思うんですが、種類が違う感じがします。
「これだ」というものは確定的には言えませんが、多くの資料を見聞きすることで感じることができますので、ここでは私が感じたことを書きたいと思います。
仏教における混沌
ある中国の仏教のお坊さんの弟子がお坊さんに訊きました。
「仏とは何ですか?」
するとお坊さんは
「糞掻きべらじゃ」
「糞掻きべら」とは、昔、紙は貴重だったので今のトイレットペーパーの代わりに当時は藁(わら)や「へら」を使ってお尻の後始末をしていました。
仏教と一口に言っても地域によっても解釈は違いますし、人のよっても違います。
日本の仏教に関して知りたいのであればこの辺の本を読むといいでしょう。
中国の仏教も当然日本の仏教と共通点はありますが解釈が少し中国的です。
「仏=仏教の最も尊ぶべきもの」をこのお坊さんは「糞掻きべら=卑しむものの象徴」だということです。これはどういう意味か。
中国では昔からの価値観として一番上のものと一番下のものを同じ(近い)ものとする考え方があります。
「陰陽五行思想」という占いや医療、宗教の根本になる思想があるんです。
中国は階級意識が日本よりも格段にあります。
たとえば「士農工商」の階級は日本史で習いましたが、もともとは中国の言葉です。
ちなみに「士」は中国では「官吏」(官僚)のことで、日本では「武士」のことです。
中国と同じようにそれが有ったかのように教えられることがありますが実際には日本では武士と町人の区別くらいしかありませんでした。
中国では明確にありましたし、今の中国の政治体制を見てもわかるように、それは圧倒的な差です。
その反動で市井から身を引いた存在である仙人を尊ぶ考え方もあります。
陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
実用の中の混沌
その実用的な例がずばり「書道」です。
みなさんも小学校中学校のときにやったことがあるとおもいますが、書道ではお手本を元に自分が文字を書いて、お手本にできるだけ近づけようとする性質があります。
つまりそうすることによって良いものを継ぐんです。
ですから中国では教師、師匠は大変尊敬されます。
この風習は、まず欧米にはありません。
あまりに汚い字は親が子に教えることはありますが、字を綺麗に書くためにそこまで努力はしません。
本当かどうかわかりませんが、知り合いのフランス人は「字が汚い方が頭が良く見える」とさえ言っていました。
日本では今でも、昔ほどではありませんが字が綺麗だと教養があると言う考え方がありますよね。
少なくとも尊敬の対象になりますし、中国ほどではありませんが教師は尊敬される立場ですよね。
欧米の場合、教師は尊敬されないのかと言ったら、良い教師は尊敬されますが悪い教師は卑下されます。つまり教師や年上だからといって、それだけで敬う習慣が中国文化圏ほど弱いのです。
これはキリスト教などの一神教での神の下での平等の考え方が色濃い例ですね。
一方,東洋では多神教で神様同士も関係性を持っているように人間関係によって地位が決まります。
それが日本では一人称(私、俺、僕など)を多く作ることによって関係性を作っていますし、前述しましたが中国で代表的なものは士農工商ですよね。
つまり中国では社会的位置によって関係が出やすいのです。
その差が顕著に出やすいのが悪名高い儒教なんですがその反発として道教ができました。
道教の思想が「道」(タオ)の思想というやつですね。
「道の道とすべきは常の道にあらず」(老子 )
(これが道理だとされるものは常の道理ではない)
という社会的道理を批判する思想が出ました。
そこから町を離れて俗世間から身を引く仙人が現れました。
そののちに荘子という人が現れてその本に「混沌」という言葉を残します。
両者を合わせて「老荘思想」というのですがインドから来た仏教を中国人が理解するときに「老荘思想」をもとに理解したというくらい中国にとっては重要な思想です。
中国の特徴としてあるものを別の良いものに近づける、同じにすることによって良いものを増やす考え方があります。
日本では昔は中国文化の影響が強かったんですが欧米の文化が入ってきて昔ほど立場による尊卑の違いが出て来なくなりました。
これは本当に面白いんですけど基本的に世界ではホワイトカラーが尊ばれブルーカラーは蔑まれる傾向にあります。
が、オーストラリアの場合はもともと多くブルーカラーの犯罪者たちがイギリスから島流しされてできた国なのでブルーカラーの地位が低くないんです。
老荘思想に関して詳しく知りたい方におすすめはこちら
バカボンのパパと読む「老子」 角川SSC新書 (角川SSC新書)
老子のほうが論語よりもずっと短いしわかりやすいと思います。荘子は老子的な思想を物語風にまとめたものです。ですのでちょっと長いです。
私は老子が好きで、儒教はもしろ嫌いです。説教臭いんですよね。でも老子を理解するなら論語もちゃんと読んだほうがいいのは事実です。