松岡正剛さんの話
ただ単純に「島国で文明が遅れていた」って今まで思ってました。
でも違うんじゃないかと。
つまり必要無かったんじゃないか。
そのことは松岡正剛さんが987夜『漢字の世界』白川静|松岡正剛の千夜千冊の最後でそのことについて白川静を絶賛したうえでこんなことを書いています。
日本にはなぜ文字が生まれなかったのかということだ。
この問題を解いた者はまだ誰もいなかった。
しかし、一人、白川さんだけが解答を出したのだ。
また、白川さんが解答を出したということも、おそらくほとんどの人は知るまいと思われる。ぼくが想像するには、 宮城谷昌光さん(第391夜)くらいが気がついたのではないかとおもう。白川さんの解答は、日本には「神聖をあきらかにしようとした王」
がいなかったというものだ。統一王も、統一をめざした王もいなかったのである。
まして、神聖者との応答を解読し、それを表記したいとも思わなかったのだ。
この解答を聞いて愕然とする者がいるなら、まだ日本は脈がある。しかし、これまで白川学を読んできた人々にさえ、このことは話題になっていなかった。すでに白川ブームすら漂白されつつあるのかとおもうと、そのことのほうに、愕然とする。
松岡さんは愕然としてるわけですけど、ようするに
「文字なしでは国として脈がない」。
つまり国家が運営できないですよってことです。
でも、それ以前に文字が無かったってことは、国がなかったんでしょうか。
たしかに近代的な意味での「国家」はなかったんでしょう。
でも人はいて、王はいて、祭祀はしていたんですよ。
それでも必要なかったんでしょう。
なぜなら争いがほとんどなかったから。
戦争の形跡が一時あっただけで殆どないくらいですから。
「明治維新」に、こういうことがあったじゃないですか。
- ペリー来航以前は国旗国歌を持っておらずに統治を藩に任せていた。
- けど外国人が来ちゃった。
- 外国に合わせて、国を作り直した。
っていうことが文字の輸入前後にもあったと私は予想してます。
つまり文字で国の形が変わった。
多分鎖国の時のように勝手にやってもよかった。
老子の言うような君臨だけして統治していない君主の島だったってことですよね。
だってコイン鋳造をそれぞれの藩がやってたくらいですから。侍はお金が嫌いでしたからね。
文字はどこから発生したか
世界ので代表的なものは、
- エジプトのヒエログリフ
- メソポタミアの楔形文字
- 中国の漢字
ですがいずれも起こりは宗教的なものと王様の権力によって独占されていたもの
だったわけです。(ちなみにアルファベットはヒエログリフと楔形文字を合わせたものです)
日本には天皇が漢字渡来以前から随分長く居たはずのになんで作らなかったんだ。
ということになると思うんですけど、
それって争いが少なかったからじゃないのかな
と思うんです。
パワーを中央に集める
文字は兵器なんです。
最新の文明ですから最新の文明には、たいがい争いが関係してるんですよね。
その力の集めどころっていうのは中央政府になります。
一番お金が集まるところですからね。
そもそもお金、貨幣は、本来できなかった労働を数値化するために発行したものです。
世界中ワンピースの服だったのに、ツーピースの服が標準になったのは元は騎馬の為に発明されたし、パソコンもミサイル弾道の計算のためです。
仮想通貨も中央銀行の権利を壊して力を分散するためですよね。
一方、文字は情報化する機能があるわけです。本来消えてなくなるようなものを情報として取っておくために言わば仮想の実像を作るわけですよね。(変な言葉ですが)
昨日の自分と今日の自分は全然違うのに記憶は残ってるから自分だと思うけど一年もすれば細胞は入れ替わってるわけですよ。
物体的には別人です。
でもデータにすると山田太郎は0歳でも100歳でも同一性を持った人物として記録されます。
それがあると何が便利かって変化する世の中をデータ化する。
過去を記録することによって責任を記録できるってことですよね。
文字によって
「神聖をあきらかにしようとした王」
がいなくて統一王も、統一をめざした王もいなかった。
まして、神聖者との応答を解読し、それを表記したいとも思わなかったというのは、しようとする必要がなかったんでしょう。
逆に文字がなんで必要かといえば対抗勢力があったから力を集中させるために必要だったんでしょう。
何で日本は力を集中させなかったのか
恐らく中央政府、王様の正統性を主張する必要がなかったわけです。
松岡さんの言う「神聖性」というのは中央集団にとっての神聖性であって個人とは別です。本人は気づいているかどうかは別として。
つまり政治にかかわるわけですよ。
宗教感覚は人間であればだれでも持っているわけで太陽を見れば人間以上の存在を感じるように人間はできているわけですよ。個人の中に。
普通、「神聖性」を基に政府の正統性を保持するわけです。だからあくまで政治的なんですよ。
で、政治というのは利益の取り分(古代は食べ物、特に米)をせめぎ合うものです。
でも日本の場合、高温多湿で木の実は取れるわ魚は取れて栄養も偏らない。
稲作さえしていればどうにかなるわけですね。
『古事記』『日本書紀』がなんで作られたかっていえば日本の皇統の正統性を明らかにして神聖化するためですよね。
なんでそれまで作らなかったかといえば外圧がなかったからで、作った理由は中国が偉そうにしてたから、このままじゃヤバイってことで初めて正統性を作ったってことでしょう。
ヨーロッパの皇帝も、中国の皇帝も正統性はキリスト教、または天です。
つまり宗教性。
日本も中国の経典を読んでいたことはあるでしょうけど、虚構であるはずの正統性に同意する感覚は人類であるからこそです。(参考:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福)
まとめと仮想通貨
だから絶対性はなくて昔から日本人の同意に基づいているわけです。
吉本隆明の『共同幻想』や『サピエンス全史』でも言われてることですけど宗教もお金も国家も人類共有の幻、虚構なわけです。
虚構といっても詐欺なわけではないということは
これに書かれています。
それは虚構と似た言葉で「仮想」ってありますけど、それも同じこと。
仮想通貨はなんで使えるかといえば使っている人たちが同意しているからですよ。
そういう人々の中の集団的フィクションでものごとは成り立ってるわけです。
日本は国譲りしたくらい戦争が少ない国ですから民衆を中央に意識づける必要がなくて勝手に食ってたし天皇以前のオオキミも宗教感覚で祭祀して、そこに民衆が集まって集落になったんでしょう。