文章構成について
文章構成で悩む人は多いと思います。
文章力を上げる方法は
- 思いついたことを箇条書きで書く
- 全体の書きたいことが見えてくる
- 書けそうと思ったら書いてみる
ということ。
どんな人でも、はじめの内は「書きたいこと」が分かっていません。
ボンヤリとあるけど言語化が出来ていないんですね。
たとえば、人と話しているときに
「あれ、俺っていいこと言ってるじゃん」
って思うことありませんか。
あれは言語化できていなくても頭の中に既にあるもので、それを人と話すという「きっかけ」を基に言語化が成功してるんです。
「箇条書き」を初めにしたのも、その「きっかけ」を作る手段です。
自分がどれくらいのことが書けるのか、または書けないのかは、書いてみないと分からないんです。
具体的に何をすればいいかといえば、手軽にできるのはSNSです。
Twitterであれば140字に制限されてる中で言葉を発することが出来ます。
普通の紙にメモをまとめるのでもいいですけど、それだと無くす場合があるじゃないですか。
ツイッターであれば、消えてなくなることはありません。
その内に
「140字じゃ足りない!」
なんて思う人が多いので、まずはそこから始めてもいいでしょう。
何も140字を超えてしまったら続けてツイート(つぶやき)をすればいいんです。
「箇条書きでもいい」というのはつまり
「何でもいいので書く」んです。
初めに頭の中にある概念を言語化する必要があるのでとにかく書きましょう。
その後に順番は勝手にうまくなっていきます。
作文を書くのに順番は重要ではありますが、それはプロの世界になっても悩む話なので、はじめの内から悩む必要はありません。
書きたいことをとにかく書いて、順番がめちゃくちゃになりそうだと心配するかもしれません。
しかしそんなに気にすることは無いです。
文章の構成は一般的によく知られているのは
- 「起承転結」
- 「序急破」
ですよね。
小学生の作文の練習には、この方に合わせて書くように求められましたよね。
これは子供が作文を書くときにも、大人でも有効だと思います。
ただ、この通りに書くとなると読むほうは読みやすいかもしれませんが、書き手としてはつまらないんですよ。
書いていくうちに色んなことをリアルタイムで思うから文章がノッて来るんです。
そういう文章はある程度下手でも読んでいて楽しいものになります。
文章には種類がある
文章力とヒトクチに言っても色々な文章がありますよね。
ブログ、作文、小論文、卒業論文、小説などなど。
大きく分けてSNS、ブログのような、やわらかい文章と、論文のような堅い文章とに分かれます。
文章力があるからと言って全部の文章をすぐに書けるかと言ったらそんなことは無いんです。
SNS、ブログの文章は軽いものだと思いますが、これは慣れが無いとなかなか書けません。
私自身は学校の作文が得意な方だったんですけど、いざブログを書いてみるとついついその堅苦しい癖が出てしまう。
もしくは本、小説を読む人はその表現の方法がもろに出てしまうことが多いです。
小説、特に純文学の場合は、表現に芸術性をつけますから、特殊な漢字や、文章表現を用います。
小説を読む場合だったらいいですけど、特にブログの場合はほとんどが小説を読まない人が対象です。
そういう人のためにも、ブログが一番読みやすい方法で書かなくてはいけません。
その為にもブログがどういう風に書かれているかを研究する人もいるでしょう。
たしかにそれは有効な手段ではあります。
しかし、本当の初心者は見ただけではどんなところに工夫があるのかわからないし、どれが読みやすい文なのか、というのは分かりません。
私がそうでした。
私自身は本を読み慣れているから、ブログの文章もどこがいいかがすぐにわかるもんだと思っていましたがそうでもありません。
じゃあどうするべきかといえば実際に書いてみるしかないんです。
作文でも論文でもブログでも、初めは100文字書くのにも一苦労でしょう。
取り敢えず長く書く。これはまず初めの必須条件です。
「ブログであれば最短は800文字」
と言われることが多いです。
しかしそれでははっきり言って短すぎるので、読者にとって納得のいく文字数は2000字以上と言われています。
作文であれば高校までの読書感想文であれば、原稿用紙3~4枚くらいの指示が多いでしょうか。それは原稿用紙一枚400字詰めですから、
1200字~1600字
ということです。
なぜ長さが必要かというと、人の心というのは短すぎて通じるという事はほとんどないからです。
「短歌や俳句があるやんけ」
と思うでしょうが、あれは文学であり、芸術です。テレビ番組のプレバトの俳句の先生の解説や、俳句の入門書に大概説明されているのは
「いらない言葉を入れるな」
ということです。
つまり引き算の美学なんです。
たくさんあるけど必要最低限のものを入れるのが芸術です。
その域には達しえないので、いらない言葉でも何でも入れてもいいですから、「まずは字数を埋めろ」というのが最低条件です。
まずはたくさん書きまくることから始めましょう。
文章力は読書量に比例するか
書く能力で事前の読書量の比重は1%も満たないんじゃないでしょうか。
少し乱暴ですけど、私の考えでは書くことは、あくまで体で使っていることですよね、体で使う限りはとにかく実践あるのみなんですよ。
細かいこというと、有名な作家の作品とかを多く読んでいれば言葉も覚えますしリズム感も養われます。でもそれは副産物だと思うんです。
確かに言葉やその運用方法を学ぶには読書をすることが一番いい方法です。
でもそれは知能全般が上がることなので、当然読書は役に立ちますけど、あくまで底上げの役割でしょう。
特に大抵の人には作家に準ずるような芸術的な文章は書けなくていいわけです。
芸術的に人の心を打つような作品も読んでいていいです。為にはなりますが、書くこと、文章力となるととにかく実践しかありません。
書けば書くほどうまくなる
結論を言えばたくさん書いていたから書くことが出てくるんですよ。
上記しましたけど、人と話しているときに自分で
「あれ、意外にいいこというじゃん」
と思うことありませんか。文章でもそういうことは起きます。
無意識に思っていることは混沌としているだけで言語化されていないだけです。
言語化されると自分では気づかない自分の能力に驚くはずです。
人間は24時間何かしら考えていますし、感じています。それをなんとなく思ったことをブログでも何でもいいんで書くんですよ。
はじめはへたくそで当たり前です。
で、書いた後に自分が書いた文章がうまいか下手かを判断すればいいんですけど、その時に読書量が響いてくることはあります。
が、SNSに書く際の文章なんて大した文章力じゃないんですよ。
小説は小説でストーリーや世界観を出すための言葉の使い方がありますが、SNSは自分自身の書きたいことを書くだけです。
大学院の先生の言葉
大学院時代に指導教授の研究室にふらついていたら、「論文が書けない」と学部生が先生に相談していたことがありました。
先生は
「書きたいことがあるから書くんじゃなくて、書いているうちに書きたいことが分かって来るんだからとりあえず書け」
と言っていました。
例え論文であっても同じ事です。
なるほどそうかと私自身勉強になったんですが、なぜなるほどと思ったかも私自身の体験に基づきます。
私自身も書きたいことなんか考えずに文章を書いていますが、何となく書けてしまっていました。そのこと自体に疑問は持っていませんでした。
SNSは書けるけど「論文」となったら肩に力が入って何を書こうかと緊張するというのはわかります。
でも「論文」とはいえ文章は文章です。
なので、独特な作法があるとはいえ、所詮人が読むものなのでSNSの文章と基本的には変わりません。
いずれにしろ人に読ませればいいんですよ。
どちらも読むのは人ですし、読み手が違うとはいえ立場や知能が違うだけでそれは文章力に対してプラスαの要素なだけです。
文章力自体に関係はありません。
じゃあ文章力自体はどうやって身につくかというと実践あるのみです。
実践というのはスポーツと一緒です。野球にしても水泳にしてもいくら本を読んでもイメージしかできません。
「イメトレ」はプロなどの高等技術を持った人がやれば効果が大きいだけで、素人には実戦経験がないのでイメージもへったくれもないんです。
大学の論文の場合
最悪、読まれなくても、大学の卒論程度だったら資料を集めてそれで字数を埋めればかけちゃうもんです。ですから文章力というものは書いてつけるしかないんですよね。
とりわけ、論文の場合は「確実性」が必要です。
初めは資料収集に時間がかかるでしょうが、集まってしまえば大したことはありません。
資料は大学の図書館で大半は集まるかもしれませんが、それ以外は文系であれば古本を集めるしかないでしょう。
www.kosho.or.jpここならアマゾンよりもたくさんの古本が見つかります。
でもそこまで来ると文章力云々じゃないので、資料の読み込みが必要ですが、読み込んだ後に何かしら思うことはあるはずなので、メモ程度にたくさんメモをしておくといいでしょう。
繰り返しになりますが文章力というのは勉強のような座学で身につくものではなくて、体育のような実戦で身につくものです。
これは本当に大事なことです。
空手の通信教育がありえないのと同じことで、立派な文章をいくら読んでいたところで立派な文章を書くことはできないんです。
とは言っても参考にはなりますし、リズム感を鍛えるにはいいでしょう。
立派な文章を読んでいていいものが書けるんだったら、小説家よりも書評家や文学研究者のほうが文章がうまいことになります。
しかし実際そういうことはありません。
小説家よりも書評家や研究者のほうが文章をたくさん読んでいるに決まってます。
なぜなら後者は読むのが仕事なんですから。
一方、小説家は書くのが仕事なので、後者よりも読む量は相対的に低くて当然です。
ですからまず書きましょう。それからです。
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