三島由紀夫が辞書を読む場合と比べる
単語を覚えるのって基本的に退屈じゃないですか。
つまらないことをやり続けるのって勤勉さが必要ですけど三島由紀夫が辞書を読んでたってことは三島自身の性格をうまく表してると思うんです。
しかも三島が辞書を読むっていうのは恐らく国語辞書のことで、英語のことはわからないですけど、国語の辞書を読むことのほうがずっと楽なんですよね。
しかも気が楽なほうがスピードが上がるので余計ですよね。
やってみたらわかりますけど国語辞典とはいえこの作業はものすごい苦痛です。
薄めの辞書(ポケットタイプ)とかだとできそうな気するじゃないですか。
でも辞書というのは普通の本よりも紙が薄く作られているので冊子自体の薄さは普通の本の分量だと思わないほうがいいです。字も小さいですし。
やるんならほとんどの単語は知っていて、たまに
「あ、こういう使い方あるんだ」とか、「こういう言葉があるんだ」という風に、ハナから語彙力をマスターしかかってる人なら楽しいかもしれません。
これはほとんど狂人の域です。
何せ用例を読むのに全然苦にならないし。
大学受験に必要な英単語って2000~3000って言われてますけど、それをちゃんと覚えるのに3年以上かかるわけですよ。普通。
これを辞書でやろうってしたら先の見えない道を走るようなもので心がボキボキになります。
ですから単語帳を使ったほうがいいんです。
単語帳を読む意味
最低限のものを覚えるだけで済むように単語帳というものが巷で売られているわけです。
テキストも薄いものをたくさんやるのがいいといわれるのもそういうことですよね。
よっぽどその外国語にかけている思いがあったりしない限り分厚い本は手にしないほうがいいというようなことが、『外国語上達法』に書いてありました。
この本って有名で、初版は1986年なんですけど未だに売れている本です。
何で売れてるかって全然古臭くないんですよ。
ネット上にはあらゆる方法の語学上達法が書かれていますけど、ここに書かれていることがエッセンスになってるんじゃないかと思えるくらいです。
じゃあ買わずにネットの情報だけ読んでればいいかといえばそんなこと無い。
ネット上の有象無象の言葉より、本物の人の言葉のほうが胸にひびくし、そもそも文章も上手いんですよ。
構成(目次)がいいし、言語学的な情報もわかり易く書かれているので、外国語に対する考え方を学べるんです。
つまり小手先の技術だけじゃなくてその土台となる哲学ですね。
何でもネットで済ませようとするのはどうかと思うんですよ。
ネット上なんて誰でも書けるじゃないですか。コピペでプロの言葉は書けますけど、全体の構成ってやっぱりプロと違うんですよ。
といってもそれをブログで書いているので矛盾はするんですけど、せっかく外国語を勉強するんなら誰が書いているかわからなかったり大半が若手の半端なやつの書いている文章じゃなくて、ベテランのまとまった文章を読んでほしいです。
勉強しようっていう気になるんです。
本は人ですからちゃんとそのことについて書いてる人の言葉はちゃんとわかるようになってる。
ネット上の言葉は情報としてはわかるから読んだほうもわかった気になるけど、実際はわからない。
これって積読にも関係あると思うんですよ。
ネットの情報って積読できないから関係ないときにパッと目に入る情報がないし、物として情報が部屋にある感じがしないじゃないですか。
クラウド上にあるだけ。
「あーその本どっかにあったな」
っていうのに相当するのがネットの情報だとないんですよ。
精々「見たことある」程度。頭に残らないんですよね。
買ったけど読んでない本(積読)が多くなるのはなぜか。 - ノーミソ刺激ノート
だから薄い本でも積読になってもいいから「欲しい」と思ったらすぐ買っちゃったほうがいいと思うんですよね。
部屋に余裕があれば。
英単語を辞書で覚えようっていうのは三島が言うような言葉への熱心な思いとは違って、お金を使わずにネットで済ませようというのと似たケチな感情があると思うんです。
辞書で覚えるより単語帳をたくさん買って読み比べしたほうが物質的な感覚も相まって覚えられるに決まってるじゃないですか。
そうやって覚えたら単純作業じゃなくなるんで退屈じゃなくなると思います。
『外国語上達法』の中に
「現代人は忙しいから有り余る時間を外国語学習の身にささげられる幸運な人は少ない」
みたいなことが書いてあるんですけど、それって今もそうだし、30年以上前からそんなこと言われてたのかと笑ってしまいました。
今思えばバブル期なので余計そう思われ始めていた時期なのかもしれません。
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