まずは「言葉」があること
言語化するにはまず語彙力が無いといけません。
気持ちがあって、それを言葉にするには一番いい方法は詩や小説などの文学を読んだり、それに近いテーマの本を探して読むといいです。
「自分には語彙力が無い」
という人がいますが本当に何もない人というのはなかなか居ません。
そうではなく、大概の場合は言葉同士を繋げることが出来ないんです。
だから特別な漢字や言葉を知っている必要はなくて、どう繋げているのかを感覚的に感じる必要があります。
だから文学が良いんです。
文学は芸術であり、実用的なものではありません。
実用でないという事は心に関すること。
ですからすぐに手に入るものでは無く、積み重ねで獲得していくものです。
でも意外と早い段階でいろんな言葉を獲得できます。
例えば詩や短歌、俳句の本を立ち読みしてみると今までになかった感覚を味わえるかもしれません。
なぜなら詩は気持ちを言語化したものだから。
言葉同士は繋がっているものなので、意識的になかった言葉も、関係ないと思われるような気持ちの言葉を集めることでふっと繋がることがあります。
読み慣れない人は詩でも長く、理解が追い付かないです。
ですからドンドン読み飛ばしが出来るように俳句を集めたもの「句集」がいいと思います。
でも俳句には決まりごとが多いですから、自由律俳句(定型、季語も無くていいもの)をなんとなく読んでみるのもいいです。
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言語化する方法
言語化以前に気持ちがあります。
気持ちは出そうと思って出せるものではありません。
ですからまずはリラックスすることです。
「気持ち」は勝手に言葉になることは無いので、
- 考えない
- 話す
- 書く
この「考えない」というのが重要。
書く前に考えても、次から次へと思いが巡るだけで何も残りません。
短い言葉でもいいので、一言でも書くことが先決です。
それは練習すれば上達するものです。
なぜなら一度書いたものは残りますよね。書いた自分と、それ以前の自分は同じだと思いがちですが別人です。もちろん書いた直後はそうは思えないでしょう。
しかし最低15秒後、もう一度見てみるとなんだか新鮮な感覚があるはずです。
もしくは一日置いてからですね。
「新鮮な感覚」というのは、別の感覚で文が書けるってことです。
一言でも二言でも、書き足せることがあるはず。
高がそれだけって思うかもしれません。が、「書き足す」ことによって、文の内容は複雑化します。
それは思想が複雑化するという事。それは読み手の頭も複雑化するという事。
複雑化しただけでは読みやすい文章ではありませんが、複雑な文は色んな感情が持てるという事です。
その後、また見直して読みやすい文章にすればいいだけです。
ですから、短い言葉でもいいのでどんどんアウトプットしましょう。
おススメはツイッターです。
私は毎日ツイートしていますがそれで自分の感情を言語化することが大分上達したと思ってます。
毎日1ツイートでもいいです。
半年も続けていれば徐々に上達するはずです。
幾らたくさん勉強や読書(インプット)しても、アウトプットをしなければ意味がありません。
最近アウトプットが流行っていますけど、とはいえ、インプットも重要。
しかし、今まで学校の作文くらいしか書いていないのであれば、インとアウトの比率は大抵インが多いに決まっています。
じゃあ何でたくさんのものがあるのにアウトプットが出来ないかといえば、練習をしていないからです。
つまり練習すればだれでもできるんです。
「話す」方法
気持ちを言語化するのにはいろんな場面がありますが、ここでは人前で話をすることについて集中的に書きます。
言語化というと文章化と音声化がありますが、日本人はどちらかというと文章化が得意なんですね。何でかというと日本語の性質に拠るものです。
そのことに関しては別の記事に譲るとして、特に大勢の人前で話すことに関して書きます。
まずはリラックス
心と体は関係しているのでまずは体をほぐしましょう。
人前で「何か一言」と言われたり料理の感想を言ったりしなければいけなくなった時に言葉が詰まりますよね。多くの人は「口下手だ」「人前で話すのが苦手だ」ということでそのこと自体に尻込みします。
こういうことは言語化すること以外にもあることで、苦手な分野というものは誰しもあるんですね。ですからそれ自体を恥ずかしいと思う必要はありません。
でも必要なのにうまくいかないということはあるのでまずは恥ずかしいことではないということを意識しましょう。
恥ずかしいと思ってしまったら体の筋肉が緊張してしまって声が出なくなります。自分はそれ以上でも以下でもないので普通に話すしかありませんし、聞き手は話をする人を下に見ることもほとんどありません。
何故なら話を聞かないとわからないんですから。
そして効き始めは大概集中して聞くものですけどそこまで期待しているものでもないので気楽にしましょう。
面白い話をしようと思う必要もありません。口下手な人は絶対に面白くないので適切なことが言えればいいのです。
口下手な人がおもしろく話そうとするのは、歩けない人がタップダンスをするようなものです。多くの人が面白く話すことをナメています。
まずは事実はちゃんと話せるかどうか、正確に話ができるかが基礎で、オモシロ話は高等技術だと思いましょう。
話し方を鍛えるには話をしまくるしかないです。
練習の場はただのお喋りのような小さなコミュニティがいいでしょう。
基本のまとめ
- まずは正確に話すこと。
- 上手に話そうとしないこと。
- 面白い話をしようとしないこと。
話がうまくなってから面白くなるのはまた別の上級の話なので気持ちが言語化できていない人はまずは普通に話せることから始めなければなりません。
誰でも初めは人前で話すことは苦手。
正しいことを言おうとしてドモる理由
一つは話すことが正しいか正しくないかを意識してしまうことが多いでしょう。その迷いがドモリになるパターンですね。
しかし自他に限らず人の言葉というのは正しいと思わないほうがいいでしょう。多くの人は勝手な感想や思い込みを話しているにすぎません。古今東西で正否が問われるのは学問的、科学的な分野での発表くらいなもので、他の話というのは感想なので正しくなくてもいいんです。
そもそも正しいものなんか無いです。
これは別に無茶苦茶なことを言っているのではなくて、仏教の世界では究極は「空」といわれるように、本来的なものは何もなくて、あると思っているものは人間の思い込み「色」に過ぎないんです。
このことは最近でも『サピエンス全史』でも書かれていましたね。国家や貨幣や宗教は人間が編み出した「虚構」に過ぎないという話です。
『サピエンス全史』と『吉里吉里人』を並列読み - ノーミソ刺激ノート
つまり人前で話すという事は「大したことはしゃべれない」というくらいの度量をもって話せばいいんです。
学問の世界でも思い込みで話すことが多いくらいですからそれ以外のことなんテキトーに話しているにすぎません。
多くの人というのは人に従うように生きているので人のいうことを無批判に正しいと思いがちです。なぜなら疑問を持たないほうが楽だからです。しかし基本的に人の情報は間違っていると思ってしまえばいいですし、自分自身の話すことだって絶対的に正しくないということです。
これも多くの人が思いがちなことですけど、正義があると思って他の人に強く当たる人に多いパターンですね。正義は空間と時間で変わるものなので無いと割り切ってしまったほうが楽です。しかも多くの人はそれをそのままは信じませんし、聴いても忘れてしまいます。ですから気楽に話せばいいんです。
妙に教義じみて「私が教えたる」という態度は素直に聞いてくれる人もいますけど、「何を偉そうに」と聞く人が半分いると思わなくてはいけません。
ついつい本を読んで、感銘を受けて、その受け売りを話そうと思っても100人もいれば1人はあなたよりその分野に詳しい人がいますから偉そうにすることは禁物です。
ここまでのレベルはある程度の「読み書き・聴き話し」の経験をしなければできないことです。
批判というのは頭脳が成熟していないとできません。
「おいしかった」だけの感想で駄目な理由
関連して、例えば味の感想を聞かれたときに「おいしかった」だけでは怒られてしまうというパターンです。
「おいしかった」でなぜダメなのか。それは誰でもいえること(抽象的)だからです。
言葉というのは「誰でもいえること」「確かなこと」というのは言う必要がないんです。
国語や英語の時間に「ここはこの語が省略されている」という話を聞いたことがあるでしょう。それは「言う必要が無いから」です。
お話というのは言う必要のないことを言ってしまった場合にスベッてしまいます。逆にウケる話というのは個人的な感想、偏見です。なぜかといえば個人的な意見のはずなのに共感できることだからです。
「オモシロ話は高等技術」だと上記しましたけど、偏見が言えるということは個人的な体験を話せるということです。個人的な体験を言語化するには個人の一回性の体験を他の人の完成された言葉を使わずに話すということです。
これは皆ができることではなくて才能の世界です。
聞き手も言語化されていないだけでなんとなく思っていることはあるんです。でもそれを自分の言葉だけで処理してしまうと「正しいかどうか」が気になるので他者に聞くのです。話せない理由も聞く理由も人は「正しさ」を求めているんです。
国語の授業で数学などの教科と比べて「答えは一つではない」というような話が生徒の中で出ますよね。正確に言うと答えなんてないんです。
人間は宗教的な動物って言いますけど、なぜかというと正解のない世の中に正解を求めるからですよね。答えはないけど社会的に模範的な回答があるからそれを答えとしているだけのことです。
全部を言おうとしない
人は一つの感想に関してあらゆることを思います。例えば料理の感想にしても、言葉が見つからないだけで色んな事を思っていますよね。
口下手な人というのはそれが一気に出てきてどれをチョイスすればいいかわからない、もしくは全部を表現しようとするから言葉に詰まるんです。
あとは話せないという緊張感から筋肉が緊張してしまい言葉が出ないという事もありますよね。
大前提として自分の気持ちを100%伝えることは不可能だということを意識しましょう。
ドイツの哲学者ウィトゲンシュタインは
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といいました。これだけ聞くとよくわかりませんけど、要するに「答えの無いことは言語化できない」ということです。言語化できないからこそ喩えるんです。
哲学書1000冊読んだらどうなるか。 - ノーミソ刺激ノート
味がどうだとかの正確な答えなんて無いじゃないですか。でも人は正解を求める。完全性を求める。だから多くの人はただ単純に「おいしい」としか言えない。でも実際にはいろいろ思うわけです。
- 昨日のよりおいしかった。まずかった。
- 好みの味付けだ。薄味だ、濃すぎる。
- 嫌いなピーマンを抜いて欲しい。
という勝手なことを思うわけです。でも勝手なことを言ってしまったら聞き手は抽象的な答えは意味がない。つまり聴き所がないんですね。だから機嫌が悪くなる。話し手は機嫌が悪くなってしまうから気を使う。
じゃあこの中でどれが最適かというと最後の食材の有無についてですね。嫌いなピーマンの話です。
前の二つはただの感想なので評価になってしまいます。人は評価をされることが嫌いですから、仕事以外で人を評価することは避けたほうがいいですよね。
そして人は評価を絶対的なものだと勘違いしがちです。人の評価なんてその時の環境や体調や気分で変わるものなので相対的なものです。しかしそんなことは関係ないので評価の言葉は避けましょう。
つまり評価は絶対的なものではなく、絶対的なものがあるとすればその瞬間のその人の態度なんですね。聞き手は話し手の態度を知りたいわけです。
となると個人的な好みであるピーマンのことを言えばそれが相手の料理への態度「この人にはピーマン抜きのものや味の気にならないものを作ろう」と作り手は思うわけです。
これで感想はいったことになります。
また、どうしても味について言いたいなら「昨日と味付けが違うけど何か入れた?」なんかの作業工程への疑問を言えばいいのです。そうすれば「バターを入れた」など作業自体の話になります。
そういうことを複数回続けることが会話になるわけです。
作業工程を言語化する
人に仕事内容を説明する人が苦手だという人もいるでしょう。
そもそも仕事というのはモノや情報を体を使って動かすことで具体的なものが主であり、言語は本来抽象的なものなので言語は頼りないものです。
仕事上で必要な言語は事務的な話と雑談ですが、事務的な話も全部を話すという事はできませんよね。
作業というのはあらゆる状況で変化するものなので、全てを言うことはできません。でも何となくベテラン同士で仕事のことが分かっているのは具体的な体験があるからで言語化が行われているからではないですよね。
大前提として言語化できないんだということを意識しましょう。ですからその場合は実際にやって見せること、具体化して見せることが最適です。あらゆる仕事は頭脳労働であろうが肉体労働であろうが手を使うことに変わりはないのでその様子を見せることが一番理解が早いのです。
人が文学を読む意味を考える。(労働と合わせて) - ノーミソ刺激ノート
そして、おおよその重要事項を時系列で伝えましょう。
しかし人というのは三つ以上のことを同時に覚えることができないので、三つ以上のことを説明する時は最重要の三つだけを説明しましょう。逆に三つ以内でことが進むならそのことを説明したうえで一番重要なことだけを強調すれば複数の情報に差が出るので記憶しやすくなります。
その他のことは口頭でしか説明できない場合は新人にやらせてはいけません。
文章で書く場合は急ぎの場合例外として文末に補足するか、全部の場合を重要度順に並べた後で「初めは上の三つだけを覚えればよい」と読み手を安心させましょう。
たくさんの事項があると読み手はプレッシャーを感じて全て覚えられないということになります。
全体のまとめ
- 正しいものなんて何もないという気持ちで話そう。
- 作業工程は時系列で話そう。
- 一度に三つ以上のことは話さないようにしよう。
- 思ったことは一つに絞ろう。
- 感想を言う時は評価をしてはいけない。
- 評価など人の人格にかかわることではなく、物や作業などについての人格から離れたことを訊く。
全部伝えようとしてもできないということを意識しましょう。聴き手からしてみれば「自分の知りたいことを聴きたい」にすぎないんです。
例えば比喩をするにしてもあらゆるる比喩を駆使しても普通の人はよく理解ができません。「何々みたいな感じ」という風に一言で言いきってしまうほうがいいです。
そうすれば聞き手からしてもわかり易いですし、それだけで満足します。何より大切なのは初めは一つだけに絞って伝えましょう。
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