日本人の読書
日本人の読書量が減っているといわれています。
が、日本人は文化上、活字から離れることは難しい民族です。
日本人は話すこと、音声には弱いんですけど、文字表記には強い、というか文字が好きなんですね。
なぜなら日本語という表記自体、記述と読みを前提としている表記なのです。ヨーロッパなどのアルファベットを主体とした文字の場合、表音文字なので瞬間的に意味は取りづらく、ディスレクシア(識字障害、失読障害)が多いです。
逆に音声については強いので音楽が上手いんでしょう。
例えばディズニー映画をわからない英語で聴いても何となく雰囲気が伝わるのは、音の感じで大よその感覚がつかめるからなんですね。
アメリカは多民族国家なのでアメリカ国民でも英語が分からない人が多いのですが、音の強弱で意味を伝えることに秀でているんです。
一方、中国台湾などの漢字だけを使う場合は漢字自体が難しく、一つの文字でも多数の意味があるので読むことに億劫に感じてしまいます。
しかし日本は漢字と仮名を使っているので漢字は表意文字で読むというか見た瞬間に意味が読み取れ、仮名があるので漢字の前後関係が理解しやすくすらすらと読めるのです。
しかし他方で20%以上の人は月に4冊以上読んでいるのです。
「読んでいる」とはなにか。
私の周りには読書家と言える人が多いのですが、その人たちは月に10冊以上読んでいます。しかし1冊1冊を丁寧に前ページ読んでいるわけではありません。
気になった個所だけ目次から選んで読んでいるのです。
小説ではそういうわけないも行かない場合がありますが、新書などの実用書ではそっちの方がいいです。
その方が圧倒的に効率的だからです。
何故本を読むのでしょうか。興味があるからでしょう。
興味がある個所だけ読んでいれば楽しいですしスピードも上がりますし頭に残ります。
興味のない所を「わからんわからん」言っていたらきりがないし、そもそも頭に残りません。意味がないでしょう。
読んでいくうちに興味のなかったところも興味が出てきますし、わからなかったところもわかってくるようになります。
そうすると飛ばしていた個所も読めるようになってくるんです。
日本人は我慢してわからないところも読んでしまうのです。
時にはそれでいい時もあるかもしれません。
古代、書籍自体が少なかったときは分からないところでも我慢して読んで、読みまくって暗記までしてしまう人が大勢いました。が、今は巷に本があふれています。
ビッグデータなんて言葉を聞いてから久しいですが、本の量も多大なものです。
どう取り扱うかと言えば興味のあるところだけをちゃんと読むのです。
速読が長く流行っていますが、本当の意味での速読は本を選ぶところから始まっているのです。読まなくていい本、興味がない本は読まなくていいのです。
真の読書家とは読む冊数が多い人の事ではありません。それらを選ぶ力がある人のことをいうのだと思います。