大学での勉強
ほとんどの「哲学を学びたい人」とは、
いろんな哲学を4年で学んで、最終的に自分の哲学を作るみたいなことをイメージしてるかもしれません。
でもそうではなくて、
「哲学史」をざっくり学ぶ
くらいで終わるのがほとんど。
なぜなら4年じゃ足りないから。
これはどこの大学でも一緒です。
だから本格的に哲学をやる気なら、大学院に行くという事を念頭に入れておきましょう。
そうなると親の支援が受けられないかも、と思っているのなら、成績優秀になって、学費免除まで行くくらいならいいでしょう。
学費に余裕が感じるようであれば院まで行ってもいいかもしれません。
私の場合は家にそこまで余裕はありませんでしたが「先生になるから」という理由をつけて大学院まで行かせてもらいました。
最低でも大学院まで行って修士2年分を追加したいところです。
私は修士まで行きましたが、それでも足りないです。
医学部は学部で6年じゃないですか。あれって実務をして人の命を預かるわけですから4年じゃ足りないのは当たり前なんだなって思いました。
どんなに頭のいい人でも、4年じゃ学問の本質に近づく感覚さえもありません。
これは偏差値の低い大学だからっていうことではありません。
東大でもそうです。
東西の哲学・思想は、2000年以上前から始まっています。
それを学ぶには4年で足りるわけがないし、結局「わかんねぇ」で終わります。
だからと言って悲観することはありません。
その後、就職するにしても、学問をしていくうえで、外国語などの実務的な勉強もカリキュラムに入るし、仕事をしていくうえでも読書は絶対にするので、その助けになります。
本屋さんではビジネス書に、絶対、
- 『論語』
- 『西洋哲学』
- 『キリスト教』
っていう言葉が並ぶじゃないですか。
あれを社会人になってから一から学ぶっていうのは抵抗もあるし、中々吸収が出来ません。
でも大学でやっていたら「ああ、こうこうことね」って感じで勉強ができるんです。
それは大いに助けになります。
本当に哲学をやりたいなら、大学院まで行かないと難しいのは実状です。
そしてたくさんの本を読まないと偉そうに哲学を語ることはできません。
「歴史」を学ぶ
大学に入ると哲学者のようにカッコいい「思想」ってものを身につけられるんだ。
と思うでしょう。
確かに高校の頃よりは本格的な「学問」に近づきます。
でもほとんどの人が思うのは、
「歴史ばっかりやないかい!」
ということ。
これは哲学に限らず、すべての分野でそうでしょう。
特殊な分野では歴史は適当に済ませるところがあるかもしれません。
しかし基本的にその学問の歴史ばかりやります。
なぜなら「学問」は「過去の積み重ね」だから。
例えばあなたが新たな哲学を生み出そうにも、過去にどんな哲学があったかを知っていないと、新しいものは生み出せないですよね。
「それ、過去に誰々が言ってたよ」
ということになるから。
これを意外と分からない人が多いんです。
私もそうでした。
自分が考えたことなんだから、他の人が考えられるわけがない
大学で哲学を勉強したいと何となく考えているけど、いったいどういう所だろいう時になるでしょう。
勉強する内容や姿勢は高校までとまるっきり違います。
大学院で哲学を学ぶとなると、どこの大学でも同じような道のりで勉強することになります。
- 哲学史を学ぶ。
- 特定の哲学者について研究する。
- 卒業論文を書く。
これにつきます。
どんな大学でも、学科でも恐らくその学問の歴史を学ぶことは避けられないでしょう。
「哲学史」の本は沢山ありますけど、はじめの内は一冊を徹底して読むよりいろんな本をさーっとサラう方がいいです。
なんでかというと、ちゃんと読もうとしてもわかりっこないからです。
「わかりっこない」というのはショッキングかもしれません。
でも大学というのはどこの学部であっても2年間は基本の基本、または教養科目でいっぱいで、専門的な研究は3年からになります。
しかし大概は3年からは就活をすることになり、4年になれば本格的にそれに向かうばかりで、本業は片手間になります。
しかし哲学は片手間に他のことを気にしながら出来ることではありません。
ですから大学4年で卒業したところでそれに関して専門的なことが語れるかと言ったら語れません。
これは哲学に限ったことではありません。
世の中には大卒がたくさんいますけど、その専攻に関して語れる人はいないです。
でもそんなのは恥ずかしいですから適当に誤魔化す人がほとんどでしょう。
それでも全く知らない素人からすれば多少は語れるように思えるかもしれませんが、はっきり言って4年で卒業は素人同然です。
4年では全然核心に迫れないので、説明を申し込んでもボンヤリとしたことしか言えません。
これは東大の人だってそうでしょう。
例えば予備校講師の林修先生は東大法学部出身ですが法学のことを話してはいなくて、教育や趣味に関することばかり話してるでしょう。世の中の「高学歴」という人でも、学部卒業だけでは語れるレベルには行けません。
それが悪いことではなくて、当たり前なんですけど、哲学の場合は語ることが重要なので、語れなかったら尚のこと意味がありません。
だから長い目で勉強しましょう。
初めから理解しようとするより雰囲気を何度もつかむような感じがいいでしょう。
最終的には論文を書く
哲学史を何でやらなければならないかというと、最終的には卒業論文、研究を行うわけで、それには今までになかった見地から論文を書かなければいけないんです。
この今までにない見地を知るためには過去に何があったのかという事を一通り知らなければ話になりません。ですから歴史を知る必要があるんですね。
ただ、哲学科に入った大学生のほとんどを苦しめるのが、哲学者が何を言っているのかが分からないということです。
日本人が哲学で「なるほど」とわかることといえば、中国哲学・思想であれば比較的すぐにわかるんです。
なぜかというと中国哲学は人と人との関係を重要視しているので、20年そこそこの経験があれば言っていることは何となくわかるわけですよ。
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しかも使っているのは漢字ですから、何となく言いたいニュアンスは伝わります。
が、西洋哲学となると初めは現代語訳から勉強することにはなりますが、絶対に意味が分からないところにぶち当たります。
なぜかというと、西洋哲学はキリスト教が関係しているから。
東洋哲学の場合、仏教や儒教、道教が関係していくことはもちろんなんですけど、宗教のような超越的な思想を無視して卒論を書こうと思えばかけるんです。
いうなればこのような関係になります。
東洋哲学:主に人と人との関係。
西洋哲学:主に神と人との関係。
東洋哲学は日本自体が東洋文化の中にいるので日本人であれば何となく見当がつく内容ではあります。
が、西洋哲学的なキリスト教となると、ほとんどの日本人がなじみが薄いので理解に苦しむんです。
しかも翻訳文なので、実は簡単なことを言っているのに、なんだか分かりにくいというハードルがあちこちにあります。
しかも哲学を専攻している人は大抵数学が苦手でしょうが、西洋哲学は数学的な考えがあちこちに転がっています。
東洋哲学にもそういうものはありますが(易学、占星術など)、無視して卒業することも可能です。
しかし西洋哲学はある一人の哲学者について研究するにしても他の哲学、宗教、社会的背景が大きく関係しているのでなかなかそういうわけにもいきません。
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ただ卒論を出して卒業するだけであれば大学の先生はガンガン卒業させたいのでそこまで厳しくはしないというのが現状です。
しかし本気で哲学を勉強したい、研究したいのであれば私は大学院まで行くことを勧めます。
しかし哲学で院まで行ってしまうと就職先が困難になるので生半可な気持ちで行くことはやめましょう。
でもこれからの時代、就職しなければいけないというわけでもないので、哲学がやりたいのであれば院まで進学するといいでしょう。
そうなると先生も厳しくなりますが、他の人がたどり着けない領域に2年ほどで行くことができます。
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