日本の文字表記の流れから
漫画の形式って「当たり前の形式」だと思われていますがそうではないんですね。
漫画は絵と文字が混在した形式が特徴的。
で、手塚治虫が映画的な場面展開の「コマ送り」をして現在の形になったと言われていますよね。
これって日本の表現形式から言うと「当然そうなるだろう」っていう発展なんです。
日本語は漢字と仮名が混ざってますが、日本の漫画の形式はまさにこの形を継承しています。
漢字は一目で意味が分かりますよね。
それなら中国語も一緒だろうと思うでしょう。
でも中国語は漢字だけなので意味の切れ目も強弱もわかりにくいんです。
書道をやってる人ならわかるかもしれませんが、「漢字」は大きく、「仮名」は小さめというのが普通。
そうじゃないと分かりづらいから。
日本語は仮名があることによって見た目に書く数の多いものと少ないものができます。
それ自体が句読点と同じように意味の切れ目が分かりやすいんですね。
それって日本人だけの感覚かというとそうじゃないんです。
日本の高い識字率の話
「日本人は識字率が高い」という話を聞いたことがありませんか。
識字率が高いのは日本人が頭がいいからではありません。表記が分かりやすいから。
なぜならディスレクレシア(識字障害)がわかりにくいという話が有ります。
人によっては「ディスレクシアが少ない」という人がいますがそうではないんです。
人間は一定数そういう人がいて当たり前なんです。
ディスレクレシアには
- 表音文字(アルファベット、仮名)が苦手な人
- 表意文字(漢字、絵文字)が苦手な人
がいます。
カタカナが苦手という人は多いでしょう。
どこが意味の切れ目か分かりづらいんですね。
「チキン」と「キチン」を間違えたり。
私は人よりも文字認識が高い方だと思いますが、文字表記でパッと見た時
「ディスレクシア」
ってわかりにくいです。
はじめの頃は文字だけで単語を認識していたので、真ん中の「スレ」が抜けて「ディクレシア」と覚えていました。
漢字がよくわからないっていう人もいますよね。
でも割とそういう子は他の能力にたけてたりします。
「識字障害」というと重大なものと思ってしまいそうですがそんなことは無くて、よくあること。大人になってもカタカナが苦手な人っているじゃないですか。
よくいるんですよ。
しかも、それ以外の知能は全然問題がありません。
現に作家の森博嗣(工学博士)はディスレクシアだと告白しています。
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でも工学博士になっちゃって、指導的立場になったから学生の文章を読む機会が多くて多少改善されたと、何かの本に書いてありました。
スポーツと同じで訓練を積めば多少改善はできるんですね。
他にもトム・クルーズやエジソンやアインシュタインもそうだと聞いたことがあります。
理系の学問はそんなに多くの文字を処理しなくてもいいので、文字が苦手な人は理系に向いていたり、演劇に向いていたりするかもしれません。
さらに欧米ではよくあることなのでサポートも充実していたりします。
小学一年生の時に音読をする際、明らかに一音一音が明らかに遅い子がいましたよね。その頃は平仮名ばかりですから読み難いんです。
彼らは文字一つ一つに注目しすぎて全体性の構造(ゲシュタルト)の処理がスムーズにいかないんです。15人に1人くらいですかね。
でも日本の場合は漢字仮名が一緒に使われているので熟語のまとまりが一個の絵のように理解ができます。
ですから漫画の形式は日本で生まれるべくして生まれました。
一つの文字形式だけで成立している文化ではありえないんですね。
だからと言って日本は素晴らしい!というわけではありません。
漫画はそもそも馬鹿にされていました。
今のような地位になるのは経済的に利用価値があるからにすぎません。
漫画の文化的価値
漫画はもはや日本の代表的な文化ですよね。
昔は漫画は卑下されていました。
が、今は多少そういうことはあるとはいえ、昔のような「漫画を読むやつ=馬鹿」という認識はほとんど無くなったでしょう。
何で馬鹿かって漫画はわかりやすいから。
分かりにくいのが上等でわかりやすいやつは下等という単純な認識はわかりますよね。
外国語がかっこいいとか、漢字がかっこいいと思うのは「わかりにくい」という要素が存分にあるからです。
じゃあ漫画が日本の代表的な文化として認識されたのは、別の要素です。
外国がそのように認識したからです。
つまり経済的に爆発的に価値が付いたから。
今までは国内で経済が動いていましたが外国語訳されて出版されると、その規模は全然変わってきます。
だから漫画そのものの文化的価値を知らなくても「文化」認定されます。
それくらい経済というのは万能の価値認定ができるんですね。
たとえば、ある茶碗の芸術的価値が分からなくてもその茶碗が一億円だと聞けばどんな馬鹿でも貴重なものだとわかるんですね。
芸術は説明ができない「なんかいいよね」という感性を呼び起こすもので、それ自体は経済とは直接関係がありません。
ところが経済市場という「場」に乗せると途端に経済的価値が芸術と「関係ない人」から発生します。
数字というのは価値を、このような「関係ない人」にもわかりやすくするためにあるんです。
たとえば、「読書の冊数」が気になる人は読書の楽しみの枠外にいる人たちです。
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外国で漫画のようなものは生まれたのか
外国にも漫画と似たような形のものはありますが、現代の漫画の形を作ったのは漫画の神様、手塚治虫大先生と言われていますよね。
外国に漫画のようなものはないのかといえば、よく言われるのはフランスの「バンド・デシネ」(bande dessinée:描かれた帯)ですね。
バンド・デシネって日本じゃ知らない人は多いですけど、その絵を見たら一発ですごいことが分かります。
この絵の感じを見てピンと来た人もいるんじゃないでしょうか。
日本の漫画家もこの作品に影響を受けてるんですね。
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この『アンカル』は大友克洋にも影響を与えたと言われています。
大友克洋の絵のタッチはどう見ても日本の漫画の文脈から外れています。
日本の漫画の形と違って「芸術」の方向に向いてる感じがします。
芸術に説明的な文字がついてる感じでしょうか。
あと、有名なのは『タンタンの冒険』です。
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