はじめに
AIが人間を滅ぼすっていう話あるじゃないですか。
初めて聞いた時は怖いって思いますけど、よくよく考えてみてください。
あれって違和感ありません?
あとは仕事が全部取られるとか。
何で違和感あるかっていえば、そういう論争って全然日本的じゃないんですよね。
日本人は他の外国諸国と違って人と争いをした経験が少ないんです。
じゃあそれって日本人がボケてるのかって言ったらそうじゃないと思うんですよ。
知能が低いからとは到底思えません。
ってことは知能と争いの問題って別なんじゃないかって思うんですよ。
それで、実際考えたんですけど、AIにすべて仕事がとられることは無いんですね。殺されることもありません。あるとしたら事故ですよ。
AIとは何か
『2001年宇宙の旅』に出てくる人工知能(AI)はHAL9000ですけど、それはIBMを一字ずらしたものからとられています。
そしてそのIBMのHPには一般的な人工知能ではない、別の解釈が載っています。
IBMは、AIを「Artificial Intelligence(人工知能)」ではなく、「Augmented Intelligence (
拡張知能)」として人間の知識を拡張し増強するものと定義し、IBM Watsonを中核とするコグニティブ・ソリューションとしてお客様に提供しています。
つまり機械は人とは別の生き物ではなく、人間の知能を補助する、人間から拡張されたものという判断です。
IBMは昔からそういう研究をやっていただけあってわかってるんですね。機械には無理なんです。
でもそれって当たり前の話なんですね。
機械というのは科学に基づきます。
科学というのは統計の話です。統計というのは要するに計算のことで、計算は数字以外のことをできるだけそぎ落として、純粋な、単純なものを良しとする学問です。
機械の判断というのは統計上一番もっともらしいこと、確率の高いものを計算して出します。
計算というのは世の中のカオスの中からアラユルものを切り取ったものだけを計算します。
なぜかと言ったらリンゴが一個、二個と計算できるのは個別のリンゴの特性を無視した結果計算ができるんですね。
人間も何人いるかという事を計算できるのは個体を無視してるからです。太郎と花子がいても、人間という枠組みに入れて「人間二人」と計算ができます。
機械というのはどこまで行ってもそこまでしかできないんですよ。
我々の生きる世界というのは統計だけの世界ではありません。
「善悪」の問題
色んな事情があります。
その中で問題になるのが「善悪」の問題です。
ロボットに支配されてしまうのではないか、ロボットに攻撃されてしまうのではないか、というのは欧米の病的な考え方ですよね。
日本人は戦争をほとんどしてこなかったし、他国を支配すること、されることに無頓着なので「アトム」や「ドラえもん」的な考え方を持つだけです。
よくAIに危機感を持っている人がいうのは
「我々より頭のいいロボットが人間を抹殺することを判断したらどうするんだ」
という事です。
欧米人はキリスト教の考え方なので個人主義です。ですから個人と個人は別個だという考え方なんですね。これは絶対的な道理ではなく信仰の問題です。
日本、アジア的な考え方はまた別です。
それに関しては別の記事に譲るとして、つまり計算や統計の領域じゃないんですよ。宗教の問題です。
日本人の個人主義の考え方に関しては一人称が簡単に変わるという事からも面白く考えられます。
日本に文字が発生しなかった理由を考察 - ノーミソ刺激ノート
宗教の問題というのは善悪の問題です。
何を殺してもいい、悪い、というのは計算ではできません。人間の信仰、感情、事情で変わります。殺すことを判断する機械は作れても、実行させるかどうかは人間次第でしょう。
何でかと言ったら人間の気持ちに割り切れるものがないように宇宙全体が割り切れないんです。
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人間とカオス
人間が人間以上の知能を持った、人間のようなものが作れるとしたらそれは宇宙、カオスを作るという事です。
それが工学、AI研究の延長線上にあるとは思えません。
人間がカオスに対してできるのは観察と解釈だけでしょう。
戦争中は人を殺してもいいし、平和な時はだめ、戦争中でも民間人は殺しちゃダメ、というのはこれまでの経験では判断ができません。
逆に言えば簡単に変化します。宗教で言えば解釈問題です。
そこを学問的に突き詰めたのが哲学です。
それらは統計的な判断ではありません個人の考え方の問題です。
この領域に機械が入ったことは無いんですね。
機械が将棋で人間に勝ったから知能が追い付いたと判断されがちですが、宗教的感覚と知能は別物なのです。
なんで知的レベルの差があるのに同じ宗教に属するかといえば、宗教自体に知識は関係ないからです。