基本は「強く見せないこと」。
なぜなら戦ったらどんなに強い人でも負ける可能性があるからです。
勝つことよりも負けることのほうが、失うものが大きいから。
まずはそのことを知っておきましょう。
負けると何を失うかといえば、状況にもよりますが、
- プライド
- 自信
が失われます。
これがカツアゲのようなものであれば「お金」も無くなります。
プロの試合の場合は「仕事」もなくなります。
なぜ、無くなるものを意識するかといえば、不要な喧嘩をせずに済むという事が大きいです。
そして、いざ「戦う」となった場合に「勝たなきゃいけない」という「意識」も違います。
後に書いていますが、「考え方」(哲学)というのが戦う事で結構重要なポイントです。
負ける確率をできるだけ小さくするためには戦わないことが一番です。
「そんなんじゃダメ、強くなりたい!」
っていうのであれば、「格闘技」という「技」を習得しましょう。
いざという時にそういうものを持っているのと持っていないのとでは、「自信」が違います。
それは戦っていないときでも、「いざとなったら戦える」という自信ですね。
それがあるのとないのとでは全然違います。
格闘技の事情
最強の格闘技って気になりますよね。
肉体を酷使する格闘技で「強さ」になる重要な要素ってなんでしょうか。
よくいわれることは、
- 体の大きさ(体重)
- パワー
- 素早さ
- 対応力
- 哲学
が大きなカギとなります。
結構重要なのが「体重」です。
体重があるとその分パワーが出せるからですね。
格闘技で「体重別」で階級が分かれているのもそういう理由です。
ただ単純にストリートファイト(ケンカ)をする場合では、まずは体重があったほうが有利です。
しかし体重が重いだけでは、
- 素早さ
- 技術
が下がります。
だからこそ格闘技としての「技術」があったほうが良いよねって話です。
体重はあらゆる格闘技で「階級わけ」がなされているように重要な要素です。
例えば男女で分けられていますよね。性別の差は総合的な体力だけではなく、体重も大きな要素になってるんですね。
女子格闘技ではKOがほとんどないのに対し、男子格闘技では体重が大きな階級であればある程その確率は上がります。KOが無いから人気が出ないと言ってる人もいるくらいです。
その場で試合を見たことがある人なら分かりますが、ヘビー級の試合とそれ以下の階級の試合では打撃の音が全然違います。
youtu.be動画ではなかなか音を感じることはできないんですよね。
プロの試合を見ていると「よく倒れないでいられるな」としょっちゅう思います。
一つの大会で階級別に試合が行われることはよくあることですが、体重の軽い試合から重い試合になることが多いです。
なぜかといえば迫力が全然違うからですね。
男子の試合の最中で間に女子の試合が行われることがあります。
それは少しかわいそうですけど迫力の面では女子は劣ります。
しかし素早さだったり華やかさが違うので大会全体の味の変化として加えられていたり、どうしても女子は人気が低いのでその宣伝として使っているんだと思われます。
じゃあとりあえず体重はしょうがないから、ジャンルはどれがいいのかといって調べてみると以下のものが目立って出てきます。
- 総合格闘技
- ムエタイ
- 合気道
- システマ
- ジークンドー
・・・などなど、いろいろ最強とうたわれるものはあります。
が、「これ」というものは無いんですね。
というのも格闘技にはルールがあります。
なので逆にいえば反則があるわけです。
ということは拮抗している選手同士の場合、その反則を使えば勝ててしまったりするんですね。
でもその反則は格闘技ではやってはいけないことです。
そもそも格闘技は興業が付き物です。つまり見せものなんですね。
「好きなことをして生きていく」というフレーズがありますよね。
格闘技が好きな人はずっとそれをやって痛いわけですけど、人に見せられるものでなけばお金は入りません。
ですから見せものとして、いくら「強いもの」を見せられても何でもありを見せ有っれても面白みに欠ける場合があるんです。
だからこそ試合に勝ったのにブーイングをもらう選手がよくいるんですね。
ですから何事も「最強」を語るのは楽しいことですが、結局いきつくところは虚しさしかありません。
他のサイトを見ても「これだ」と断言している所は無いと思います。
あったとしても分析が足りなかったり、ひいき目が入っている場合しかありません。
じゃあルール無用で最強は「ストリートファイト」(喧嘩)かっていうとそんなこともないんですよ。
そもそも人類の歴史は「戦いの歴史」といわれるくらい、大規模なケンカが行われていました
。それだったら喧嘩で最強になる答えがありそうじゃないですか。
それをみてみましょう。
「最強」の哲学とは
技という技は方法でしかありません。それを使うのは人自身です。
じゃあその人の行動はどうやって決まるかといえば「考え方」(哲学)です。
K-1選手の魔裟斗氏は、
「練習は2時間くらいでやめないとだめ。それ以上やると弱くなる。だからプロは暇」
ということを番組でおっしゃってました。これはどういうことかというと身体は消耗品なんですね。酷使すると駄目になります。
じゃあその他の時間は何をするかといえばイメトレをしたり、考えたりすると言っています。人間はほっといたら考えるもんです。
「考える」ことで戦いの最中の可能性を埋めていくわけですね。
甲子園で高校生の球数制限をするべきだっていう話があるじゃないですか。
それは当たり前の話で、一生のうちで投げられる球の数は決まっているわけですからプロになったら度々休ませるわけです。
けど、高校生はそんなの無視して投げさせている現状があるからまずいって話です。
宮本武蔵は「やたらと戦いをするな」といいました。
「その程度の腕であれば、むやみに果し合いをするものではない。私の腕でも勝負に勝てるかどうかなどわからないのだ。果し合いを求められたら、すぐにその場を立ち去るのが兵法の達人というものだ」
これは『孫子の兵法』にも書かれていることです。
というか武蔵はそれを基にこの哲学を考えたんでしょうけど。
どういうことかといえば昔の戦いというのは
負け=死
なんですね。
ですから死んでしまっては意味が無いわけです。
一方、現代の格闘技は最悪、死ぬことはあるとはいえ、ルールという縛りのもと、死なないように設計されているんです。
じゃあ昔の戦士は「最強」をどう考えていたかといえば、
強く見せないこと
です。
矛盾した考えに思えるでしょう。
しかし戦わなければ負けません。
最初から戦うような感じに見せなければいいんです。
ですから強いと見せかけてしまっては馬鹿な挑戦者が表れてしまいます。そうなると勝てるかもしれません、力を見せつけられるかもしれません。が、死ぬ可能性があります。
そんなことしますか?
割に合わないんですよ。
死んだら意味がありませんから、「勝つこと」が重要なのではなく「負けないこと」が重要なんですね。
最近イジメの話題で「その場にとどまらずに逃げろ」ということが推奨されているじゃないですか。
逃げることは負けることではないんですね。正確にいえば死なないようにするためです。
アンチ格闘技
じゃあ格闘技なんか最初からしないほうがいいという考えもあるでしょう。
私もそういう考えでした。
それに、私が知り合いに格闘技を薦めると
「俺は人に暴力をふるうのが嫌いだからやらない」
と断られることがよくあります。
ハッキリいって私もそうです。
でも体の活用の仕方だったり、殴る殴られるの経験が安全に味わえるんです。
世の中に暴力は存在するんです。だからこそそれを体験できるんですね。
かと言って私は危険なことは嫌なので試合に出たことはありません。
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