はじめに
- 大学院では中国哲学
- ➔建築現場で肉体労働
- ➔警備業
- ➔国語教師
- ➔日本語学校講師
大学・大学院と基本的には中国哲学ばかりやっていました。
つまり読んでいたのはほとんどが漢文です。
大学院では現代中国哲学もやっていたので、現代中国語も読みました。
貴重な資料が多いので、図書館でコピーをして、まとめてリングで通して、大事なところを集中的に読むという訓練をしてました。
ですから普通の人よりは読書の経験があるので、読書法に関することを主に書いています。
読書のほかには教養や、教育、格闘技に関するブログを書いています。
読書は古典、純文学が中心。
月間PV数は右肩上がり。現在月間17000PV突破。
上記はTwitterのプロフと同じです。
このブログ自体は10年前に大学の頃から暇つぶしというか、日記程度に書いていたんです。
でもブログが本格的に収益になると聞いたので、収益化を目指して色々変えていったのが、2018.3.12の日。
⇓この本を読みました。
今まで雑記的に書いていたので、今後も雑記です。
が、せっかく大学院まで行かせてもらって哲学をやったし、その他の本もたくさん読んでいて、その分野を書ける人は特殊だろうと思いました。
だから読書系を中心に書いています。
ですから読書に関しては甘っちょろいことは書きません。
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読書の冊数を自慢している人がいます。
そういう人には要注意です。
読書の冊数に関しては測定できません。
なぜなら、
- 同じ本を複数回読んだらどう測定するのか
- 一か所だけ読みまくったらどう測定するのか
ということが統一的に計測できないからです。
読書を日常的にしている人は絶対にこういうことをしているはずなのに。
じゃあ、なんで「冊数」にこだわるのか。
数えるほどしか読んでないからですよ。
中高生だったら分かりますけどね。
別に読書はしていない人がいてもいいです。
読書するにも向き不向きがありますから。
ネット上の文字は読めるけど、紙の本は読めないという人もいます。
そういう人でも本の中の情報に触れたいのであれば、kindleや、音声の本を読めばいいんです。
今はまだ少ないかもしれませんが、これから増えることは目に見えてます。
でも大して読んでいないのに読書について語っても説得力はないでしょう。
読んでいたら、書く文章、喋る内容に「濃さ」が出るはずです。
ですから本当に本を読んでいる人は、本の中の引用が出てきたり、色んな表現が出てきて、読んでいるだけで楽しくなるもんです。
1冊「読了」したらその本は「おさらば」という人もいるでしょう。
でもそういう人ってただ本を消費しているだけ、電車の広告を読んでいるようなもので、読書の経験値が多いとは思えません。
途中だけ、一部だけ読んだ本がたくさんあるし、複数回読んだ本でも、一部だけ読み返すなんてことも毎日なので、普通、読書する人なら明確に、例えば「100冊」とか言えるとは思えません。
明確に言うのは一時期に1冊の小説を映画を観るように行儀よく読む多数派の人たちでしょう。
その人たちは数えやすいかもしれません。
でもそんな不自由な読み方は楽しいわけないので私は数えていません。
そういうのは理解されないので、数字を使った記事も書いてます。
そうです。アクセス数は欲しいです。
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ただしここにも書いてるんですけど明確に何冊とは書いてません。
書けるわけがないので。
じゃあ明確に「何冊読んでます」というアカウントに関してどう思うかといえば、
サブイ読書してるな
って感じです。
漱石は何かの本で
近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな
嘘 をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏 ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古 ずるくらい纏まらない物体だ。
『坑夫』より
って言ってますから、それと同じように読書数なんか性格にかかわってしまう問題で、数えられるもんではないと思ってます。
冊数自慢は読書の本質ではないと思うので言いません。
具体的な数を書くと読者のすそ野は広がるかもしれませんが、そうするとあらゆるところで矛盾が出てくるので。
「1年で1000冊読む!」
とか冊数目標にしてる人は本当に読書が嫌いなんだろうな、と思います。
たとえば、友達の人数を増やすことに必死な人が、本当は人を本気で見ようとしてないのと同じ。
自分の評価を高めたいだけでしょう。
そもそも冊数自慢してる人で面白い人って見たことないです。
それは文化によって名誉の数にはなりうる数字でしょうけど、私はそれとは違う文化に属してます。
かと言って記事タイトルでは数を載せています。
しかしこれはタイトルとしての仕掛けで、私個人のものではありません。
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どういう考えを基にしているかは以下の記事をどうぞ。
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私が面白いと思う人はたくさん本を読んでいますが、冊数自慢している人は皆無ですし、するとも思えないからです。
ライトノベルを読まないのも、ライトノベルを沢山読んでる人で面白い人に会ったことが無いからです。
今まで哲学書や文学関連ばかり読んでいたので、世の中の読書愛好諸子も、それと似たようなものを読んでいるんだろうと思ってたんですけど違うんですね。
Twitterの「読書垢」を一通り見てみると、それらは中高生ばかりで、彼らは
- ライトノベル
- 大衆文学
ばかりを読んでいました。
当然といえば当然で、よくよく考えてみればそれはそうなんです。
けど、私はラノベは一切読まないと決めてるし、直木賞を取るようなレベルの大衆文学であっても立ち読みか、図書館で2分くらいで飛ばし読みするくらいです。
ちゃんと読んだのは中高生の頃にこれは読みました。映画も見ました。
でTwitterのアカウント名に「難解読書」と2018.10.31に入れたんです。
名前に「難解読書」って加えてみた。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年10月31日
ライトノベル、大衆文学は基本読まないって理由でつけたけど、狙いは
「なんだこいつ」
って思われること。
どうなるか実験的に。
人生で読める本は限られていますから本気で読書するなら本気で能力を発揮した歴史的な作品ばかりを読みたいと思ったからです。
それでも一生かけても読めるわけないので、ラノベは選択肢から消えます。
好きな本
東洋哲学
中国
日本
善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学 (角川oneテーマ21)
- 作者: 中島 義道
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/08/10
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 47回
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西洋哲学
ギリシャ
ドイツ
- 作者: カント,Immanuel Kant,篠田英雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1961/08/25
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 93回
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- 作者: ハンナアレント,Hannah Arendt,志水速雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/10/01
- メディア: 文庫
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フランス
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
- 作者: 岡本裕一朗
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2015/01/23
- メディア: 新書
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現代文学
日本
KECの考え方が分かるツイート
読書観
大学の卒業必要単位は124単位。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
普通の授業は1年で4単位だから、大体31の授業に出ればいい。
ってことは普通は4年で31冊の本を読むという事。
それくらい1分野の本を集中的に読めば、ちょっとした専門家くらいになれるってこと。
難しい本って身近に感じないとなかなか読まないと思うから、読書を一生していきたいと思う人は大学に行ったほうが良いと思う。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
就職のためと思うから大学が嫌になるんじゃないか。
ベストセラーより古典を読むのは効率がいいですよ。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
新刊でも出典が古典にあるものがたくさんあるので、古典を読むだけで新刊本の元ネタがすぐに分かったりします。
つまりベストセラーを1000冊読むより、古典を10回読んだほうが読書力が付きます。#本は1回読んだだけじゃ覚えないから10回
手っ取り早く教養を得たいなら漫画版を読めばいいって大学院終わってから気づいた。#まんがで読破#まんが日本の歴史
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
「速読」するならただ一つ。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月6日
同じ分野の本を読むこと。
そうすれば書かれていることの検討が付きます。
だから自分ではあまり気づかないですけど速くなってます。
冊数自慢してるのは簡単な本を読んでるだけ。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月6日
「三人寄れば文殊の知恵」
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月5日
っていうけど、つまらない人が100人集まっても面白いことっておきないよね。
公立学校と同じ。普通の人は何人集まっても時間を無駄に過ごすだけ。
色んな人に会うよりも、名作の1行を読んだほうが成長しますよ。#誰に言ってんだか知らんけど
読書をしないと心が読まれる。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月5日
読書をすると心が読める。
心がとられると身体も奪われる。
実用的でない小説を読むことは、意味のないように見える。
けど、意味がないからこそ最大の意味をはらんでるんです。
「否定ばかりはよくない」
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月4日
っていうけど、同じ本を何度も読んでいると、
肯定➔否定➔肯定➔否定
を繰り返して、独自の解釈が勝手に作られます。
なぜなら、クモの糸のように色んな考えがよぎって、結局は
どちらでもなくなる。
だから「肯定と否定」だけの次元じゃなくなる。#つまり何度も読め
「文学論」と「哲学論」の違い
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月12日
・「文学論」➡何が面白いか。
・「哲学論」➡こいつは何を言ってるのか。
哲学論が理解されづらいのはここにあると思う。
哲学書は一回で全部わかることは絶対無い。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月12日
だから飛ばし読みでいい。
哲学書でも色々あるから、自分に身近な論から読むと良い。
例えば、
・スポーツ好きなら「身体論」
・心の問題なら「宗教論」
・日本人なら日本の哲学者の本
って感じ。
国籍は重要で、日本人がいきなりキリスト教は難しい。
思想書は、読んでるうちに胸がいっぱいになって読むのをやめちゃうときがある。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月11日
国語を「論理」と「文学」に分けるって話が有るじゃないですか。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月11日
「文学」は、論理と別の「勘」が磨かれるんだと思うんです。
論理だけで生活してると、見えない穴に落とされると思います。
「論理」は数秒の時間がかかりますけど、「勘」は一瞬で逃げられます。
この差って大きいと思うんですよ。
漱石も英語は多読だっていうようなことを言ってました。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月11日
分からない単語は飛ばして読めって。
でも『吾輩は猫である』のクシャミ先生でもある通り、集中できない時もあります。
諦めずに断続的に読むしかないんだと思います。 https://t.co/5hTzrnaf1t
文学賞の新人賞の場合は後の総評が面白いんです。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月10日
「この人の文学観はこうなんだ」っていう審査する作家の文学哲学が読める。
むしろ本作よりもそっちが面白い。
M-1も
「こういう漫才が評価されるべきだと思って審査した」
っていう話が面白い。
それを別々のメディアで言わず、まとめて欲しい。
「純文学って、私は頭が悪いからわからない」
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月10日
という人いるけど、頭の良し悪しじゃないんです。
生きる姿勢の問題。
分かった気になって人生論語る人ってイタいじゃないですか。
「どういうことだろう?」
「何で名作って言われてるんだろう?」
っていう姿勢の人が、純文学を楽しめるだけの話。
言語観
日本語の「空気も読む」って
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
「読む」っていうよりも、「同化する」って感じがします。
本当に読むなら、その場で適切な動きが出来るはず。
「自分はこの空気をどう思うか」
で動きは変わるはず。
中学の時の英語って「意訳」禁止されて、できるだけ「直訳」するようにいわれたじゃん。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月9日
あれで英語が嫌いになった。
で、一人で勉強するようになったら好きになった。
今、自分の言語学知識は普通の教師より確実にあるけど、あの時の英語教師はすげー馬鹿だなって思う。
こういうことってあるよね
ブログ観
今気づいたんだけど、
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
ブログをリライトすると記事の質が上がるから心の中の記事のハードルが上がって、新記事を出しづらくなるという心理的傾向がある。
こういうことってあるよね?
Twitterの文は「わかりやすく」っていうけどさ、簡単な文って嘘っぽくない?
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月5日
本音の文って書けないんだよ。
逆に「わかりやすく」するには意図的な作業が必要。
つまり分かりやすい事ばかり書いてる人は、本音をわざと隠してるんだよ。#ほとんどの人には分からないことをあえて書く
「なんでもブログに書けばいい」っていう雑記ブログ派ですけど、よくよく考えてみれば書く内容考えてるよなって気づいた。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月3日
ここ10年は、本を読んでる時間と同じくらい「バナナマン」とか「乃木坂46」のコンテンツ見てるけど、ブログには1記事ずつぐらいしか書いてない。
経済観
うちは実家なので、ワンルームじゃないんですけど、型落ちしたルンバが二台あります。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
一個は親父がアキバのジャンクショップで2000円で購入して修理したやつ。
古いタイプだから音は大きいけど、一軒家だから気にならない。
現代は「お金」ではなく、「時間」の奪い合い。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月5日
良い給料よりも、どれだけ時間が確保できるか。
それに気づかないと、お金だけ握らされて60,70歳で放っぽりだされるだけ。
お金があっても時間も体力もなければ人生を吸われてるだけじゃないか。
お金より時間(人生)の方が重要。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月5日
毎日数100円の収入がある安心感は数100円以上の幸福感がある。#ブログ仲間募集中
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月11日
正義観
彼らは数にとらわれているんですよね。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月7日
煽り芸で「わかってやってる」っていうスタンスかもしれません。
が、他人の瞬間的な感情を使って養分にしているだけで、人の心を本当に刺激するようなことをしていないからリプ率が少ないんだと思います。
そういう仕事って誇れるんですかねぇ。
さっきの乾燥機だけど、乾燥機をいっぱいに3回くらい回したらこのフィルタにホコリとかのゴミがべったりつきます。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月11日
その分のゴミを落とすのってすごく大変だよね。
熱くなるからダニも死ぬし。
絶対に乾燥機は買ったほうが良い。 pic.twitter.com/0XVy8lHh5P
行動が大事なのは「正解を見つけやすいから」
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月10日
1、情報には「正・誤」がある。
2、行動したことが無い➔とりあえず両方を疑う。
3、行動する➔「正」が分かる。
4、たくさんある中で「正」が際立って見えるようになる。
っていう風に情報収集の効率化が図れるから行動したほうが勉強の効率が上がる。
山本有三の『路傍の石』読んだ。
— KEC@古典読み@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年12月8日
身分やお金で勉強できないっていう人が本当にいたんだよね。
それもたくさん。
いまは凡人でも読書が出来る。
たった数十年だけでこの差よ。
それくらい短時間で簡単に世の中は変わるんだから親の言う事なんか聞かずにやりたいことやればいいと思う。