哲学とは「欲望」
哲学って面白いんですけど、言葉が難しくて挫折してしまうんです。
例えば岩波文庫をいきなり読む人が多いんですけど、いきなり読んでも絶対に「積読」になるだけです。
何で難しいかといえば、その「言葉」のせいです。
「何で簡単な言葉にしないんだ」
って思うでしょうけど、この本が作られたときは翻訳をしてそれを手軽なサイズにまとめるだけで大きな仕事だったわけです。
だから、誰でもわかるような「図解」や「まんが」なんかは、簡単にはできません。
今、そういう、素人でも簡単に分かるものが出来ているのは、こういう先行研究があるからです。
つまり、地道な積み重ねが無いと、素人でもわかるようなものはできません。
さらに、今は漫画を書ける人が多くなりました。
それは、
マンガ機材の手軽さ・安価化
が大きいと思います。
昔は漫画はぜんぶ手書きで、紙とペンを数種類、物理的に用意しなきゃいけませんでした。
でも今はペンタブレットや、人によってはスマホで漫画も描けるようになっています。
だから漫画を描くのが簡単になったんですね。
しかも「漫画を描くという事」自体に、社会的に理解が深まったというのも一部あるでしょう。
そういう歴史的な積み重ねによって、恩恵にあずかれるわけです。
だからこそ、その歴史的な甘い蜜を吸わない手はないですよね。
「哲学」はみんながするもの
哲学は人間だったら誰でもするものですよね。
- 何で自分は動くのか。
- 死んだらどうなるのか。
- 人を好きになるのは何故か。
こういうことを考えずに何年も生きる方が珍しいでしょう。
哲学自体は人間の欲望そのものだと思うんです。
Twitterとかを見ても、あらゆる方面の哲学的な考察をしている人はたくさんいます。
それは特別に、大学の「哲学科」に入らずとも、人は哲学するものです。
でも、込み入ったことは考えられません。
せっかく100年くらい生きるんだったら、
- 「本当の所」
- 「人類の考えた一番難しい所」
っていうのに興味がありませんか。
私は興味があって何時もそこへ行くために、本を読んでいます。
本を読む方法
自分一人の経験では十分に考えられるようなことは難しいんです。
その為にどうしたらいいかというと、本を読むことです。
でも哲学書っていうのは難しいんですよ。
ただ、今は簡単な漫画版などがありますから、そこから読むことをおススメします。
「マンガ版なんて子供が読むもんだろ」
っていうのは私は思ってたんですけど、その考えは甘かったんです。
そもそも哲学というのは、本を1~2回読んだ程度で理解できるものではありません。
だったら、初めはわたりやすい入門書である漫画版から読んだほうが良いです。
特に哲学って言ったら、普通は「西洋哲学」ですよね。
西洋哲学を知るには、キリスト教をある程度知っていないと話になりません。加えてギリシャ神話も必要です。
その為に、簡単に日本人では理解できない『聖書』や「西洋思想」を簡単に分かるものから読んだほうが、絶対に
- 面白く
- 継続して
- 簡単に
読めます。
「智を愛する」のが哲学
「哲学」っていうのは、よく「哲学入門」的な本で必ず書かれている説明として、
「智を愛する」(philosophy)
って言いますけど、それじゃ普通の人はピンときません。
今までの言葉では説明できないことを言語化してますから難しいと感じるのであって、内容自体は人間の「あるある」なんですよ。
ですから読んでいて、何となく「こういうこと?」と感じるのは、実際その通りだったりします。
でも読書は一人でするのが普通ですから、その「こういうこと?」が自信が持てないままになってしまいます。
だから
「哲学は言葉遊びだ」
という非難がされるんですね。
中でも日本人にわかりやすい日本人の哲学者の西田幾多郎の重要なテーマをできるだけわかりやすく、こう書きました。
西田幾多郎の
— KEC@読書失敗@ブログ@リライト中心モクモク (@kec_twitt) 2018年11月1日
「絶対矛盾的自己同一」
って難しそうだけど、要するに、
太郎さんは父であり息子であり、客であり従業員である。
のように「存在」は関係でできてるってこと。
西洋は絶対的主語「I」があるけど、日本語にはなく、関係により「ママ」「私」「あたい」に変わるから分かりやすい。
小学館版学習まんが 2 西田幾多郎: 世界に影響を与えた日本人初の哲学者 (学習まんが 小学館版)
- 作者: みやぞえ郁雄,平良隆久,石川県西田幾多郎記念哲学館=,西田幾多郎記念哲学館
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何も知らないまま西田幾多郎の哲学を読むと、よくわからないですけど、考え方としてはすごく日本人的なので、外国人の多くの哲学者よりも分かりやすいんです。
じゃあなんでそんなに分かりにくいかといえば、彼の哲学を学んだ大本が西洋、特にドイツの哲学からだからです。
西洋哲学は基本がキリスト教の考え方が根本にありますから、その前提を知らないと、すぐにピンとは来ないんです。
でもそういう事を知ったうえで読んでみると、あらゆる哲学者の中で一番最初にわかりやすい「哲学」だと思います。
もちろん西田以前にも日本には思想はありました。
しかし体系的に筋のある哲学というのは中々無かったんですね。
それは決して日本人の頭が悪いからと言うのではなく、西洋人には西洋人の、日本人には日本人の歴史があるので、簡単に「これだから」とは私の力では言い表せません。
それでも日本の思想史を知りたいのであれば、こちらをどうぞ。
清水氏のちくま新書のほうがコンパクトな気もしますが、実際は分厚い本です。
初めは↑の、相良氏の入門のほうが良いでしょう。
「哲学」自体は入ってきた情報をもとに自分で編集作業を加えることだと思うんです。
よく、
「本で読んだ情報が血肉になっている」
という表現を目にしますけど、自分自身になっているというのは、その外部的だった情報が、自分の内面、人生の一部になる感じです。
それによって人生が変わるんです。
その変わった感覚が気持ちいいんです。
だからみんな本を読めってよく言うんですよね。
友達100人より愛読書100冊のほうが価値があるぞ - ノーミソ刺激ノート
人生とは情報(記憶)です。
0歳から死ぬまで、一貫して一人の人間という認識になるのは、「山田太郎」という役所で登録され、その周辺にも「山田太郎さん」と認識されているからです。
よって子供の山田太郎も、爺さんの山田太郎も同一人物だとされているだけです。
昔は幼名っていうのがありましたから、同じ人間でも大人になると名前を変える習慣がありました。
それだと現代では都合が悪いから同じにしちゃってる。
読書で人格が変わる、人生観が変わるというのも、情報が自分の中に入ってきたものですから、考え方がごろっと変わることです。
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