ノーミソ刺激ノート

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本は読破するものじゃない!本への愛。

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解体新書 (まんがで読破 MD104)

「読破」とは

読破って全部読むことですけど、それを目的としている人が多いですよね。

それは普通のことですけど、何も全部読まないと意味が無いかと言ったらそんなことないんですよ。

 

だって言葉って一言で「はっ」と思う事があるじゃないですか。

 

もちろん本を読むうえで、その文脈の中で、その流れの中での一発の言葉で心が動くこともあります。

でも、何となくページを開いて、そこに書かれている一節で心が動くことだってあるじゃないですか。

 

 

じゃあ深く読まなくていいかって言ったらそんなことないですよ。

いいと思ったら何度も読んだって良いに決まってます。

「読書百遍義自ずから通ず」って言葉が三国志に出てきますけど、難しい本だったらわからなくても何度も読んでいれば分かって来るって意味です。

 

複数回読んだときの変化 - ノーミソ刺激ノート

三国志 全60巻箱入 (希望コミックス)

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三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)

三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)

 

 

だから一回だけ読んでもいいし、何回も読んでもいい。正解は無いんです。

結果的に読んでよかった、色んなことが考えられるようになったっていうのが読書の醍醐味でしょう。

ですから立ち読みでもいいし、しつこく読んでもいいんです。

 

立ち読みをしよう! - ノーミソ刺激ノート

 

読書の力って案外「しつこさ」だったりする。読書を長続きさせるには。 - ノーミソ刺激ノート

 

「読破」という言葉を使ってしまうと、それでその本とは二度と会わなくていいという感じがあります。

 

私は過去のブログで「まんがで読破」を推していますけどね。

 

まんがで読破を読むべし - ノーミソ刺激ノート

 

私自身は、それだけを読んで終わらせようとは思ってません。

かといって全130冊くらい出ているシリーズで100冊くらいは読んでいるはずですから、ほぼ全種類と言っていいくらい読みましたけど、漫画を読んだだけで終わるものも多いでしょう。

 

でも、私は一生本を読んでいこうと思ってますから、何かの際には「この話何となく覚えてる!」っていうフックがあったほうが読書への導入がスムーズにいくじゃないですか。

 

そうしてそれを読んだら後はその解説書へと行けるわけです。

文学の研究書や解説書を読む人は少ないと思いますが、読んだら面白いし、読書好きなや読むべきですよ。

 

なぜなら自分よりも圧倒的にその本を読んでいるプロが解説してくれるんですから、その本の面白さが分かるんです。

 

文学研究書のすすめ - ノーミソ刺激ノート

読書の楽しみってなんだ

読書の何がいいって、一回読んだらその後の人生で、ふとそれを思い出すことがあるんです。

それって楽しいじゃないですか。

 

楽しさの根本は精神的な動き、心の動きですよね。だから遊園地のような外見的に楽しい空間にいても、心が楽しくなければ意味がないわけです。

 

誤解を恐れずに言えば、遊園地はあくまで心を動かすために、精神的に心を動かせない人でも楽しめる場所です。

でも読書をしていれば、自宅でも、トイレでも、何もない洞窟でも楽しめるわけですよ。

 

「楽」の本来の意味 - ノーミソ刺激ノート

エンタメ小説の「読破」

確かにエンタメ小説であれば、読破という感覚はあるでしょう。

 

私はエンタメ物はほとんど読みませんから、ネタバレを気にしませんが、エンタメはその先がどうなるかという「ドキドキ・ワクワク」が商品でしょう。

ですから読破という言葉は意味があると思います。

 

純文学の面白さとは。 - ノーミソ刺激ノート

 

もしくは読書が苦手でも、一生の内にはいくらか読んでおきたい本はあるでしょうから、「やっと読み切れた」という達成感からその言葉を使いたいという気持ちも分かります。

 

でも私としては長期間読みたいんです。ドキドキワクワクは小説では要らないんです。人生であればいいことです。

それは人生を通しての希望ですね。

 

本をどう読むか、というのは、「人とどう付き合うか」であって、つまりは「どう人生を生きるか」につながる重要な話になるんです。私にとってはですが。

 

難しい本を読む意味 - ノーミソ刺激ノート

 

難しい本を読むことをエンタメにする【ブログの考え方】 - ノーミソ刺激ノート

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 
君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか

 

 

言うまでもなくどう生きるかなんて話は、正解がないので、「こう生きろ」というものはないです。

 

じゃあどう生きるかを決定するのは何かというのは「外部からの刺激」でしょう。

「無我」という言葉がありますが、結局は人間は関係性で成り立っています。

 

身体的な自分であってもそれは過去の先祖の生きざまが遺伝子として残っているからこういう身体になっているんでしょう。

精神的なものもそうです。

 

精神性も先天的なものがあるとはいえ、後天的、つまり自分の短い人生の中での刺激が大きなところで仕事を果たしている場合がありますよね。

 

親にこういわれたとか、先生にこういう話を聞かされたとか。

 

でも実際に会う事の出来る人というのは少ないです。

ところが本となると一気に増えるんですね。

 

読み慣れればドンドン読めますし、口頭では話せないことも文章にできますから、その人と面と向かって話してもわからないような心の内奥の部分が見えてきたりします。

 

そのためには何度も読まないと駄目なんですね。

人にしたって何度も会わないとその人の人となりが分からないじゃないですか。

 

「人は見た目が9割」っていう本が流行りましたが、ほとんどの人は1.2回軽く会っただけで終わりです。だから印象が大事ですよっていう本です。

 

人は見た目が9割 (新潮新書)

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やっぱり見た目が9割(新潮新書)

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つまり人生の中で「人」のことを知れることは無いんです。

大概が「何となく知っている、見たことある」っていうレベルです。

でもそうなると自分が浅はかになる気がしますから、「分かった気になる」んです。

 

そうなってしまう事は仕方のないことですが、それをを意識して、

「知れることは無いんだ」

という気持ちがどこかで働いていたら、人に対して横柄な態度は取れなくなるんじゃないでしょうか。

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