無限の人間性が得られる
読書をするといいっていうのは、ほとんどの人が漠然と思ってることですけど、何でいいかっていうとよくわからないですよね。
端的に言えば、
人間関係が上手くなる。
もちろん読書だけではそうはいきません。
人間関係には様々な要因、問題があります。
しかし、読書をして色んなことを知ることによって、会話の幅が広がるんです。
会話をしているときに
- 「どういう返しがいいかな」
- 「返しが思い浮かばない」
ってことがあるじゃないですか。
そういう場合は、小説や新書などのパターンを駆使することが出来るんです。
しかし会話のパターンっていうのは無限大です。
だからこそ継続的に読む必要があるんです。
読書を1か月したらどうなるか、半年したらどうなるかってことを書こうと思ったんですけど、はっきりいって「これだ」というものはありません。
ただあるのは、1年続けたことによる総合的な体系(かたまり)があります。
それが無限のパターンに対応してくれるんです。
例えばこの場合はこう、ああいう場合はこうっていう風に、対応表があったとしましょう。
そういうものを見て安心するかもしれませんが、人間の会話というのはそういうものではありません。
「その人」を見て会話するのが本当であって、「対応」するのは「仕事」みたいな「ロボット」がすることです。
(ロボットの語源は『労働』)
ですからそれぞれの色んな人に合わせた人格を持つことが出来ます。
そういうと誠意が無いように思えるかもしれませんが、「自分」という頑固な確固たる自分を持っていると人とうまく交流が出来ません。
あくまでその人に合った人格になること、その場所のような人になるために読書は必要だと思います。
読書の種類
でも読書って「勉強」と近いイメージですよね。
そして勉強ばかりやってる人はコミュニケーションが下手な人が多い印象がありませんか。
でも読書と勉強は別とします。
もちろん読む本の種類にもよります。
出来るだけ難しいと思えるような本のほうが良いです。
- ラノベ
- エンタメ小説
- エンタメマンガ
などはあんまり意味がないと考えていいでしょう。
もちろん全然読まないよりはいいと思います。
しかし限界があるんですね。
限界がないようなものは、
- 思想書(宗教・哲学)
- 文学(純文学小説・詩・俳句など)
などの文学部で勉強研究するようなものですね。
なぜかといえば、
「少年老い易く学成り難し」
(人はあっという間に老いるけど、学問は達成しない)
だから。
一般的に「学問」とされているようなものを、簡単な漫画版から読み始めるとスムーズに進めます。
注意点(ルール)
年間通して読書をするなら、最低限のルールが分からないとマズいですよね。
何でも読めばいいというものではありません。
骨太な本を読み続けることによって力は増大します。
しかし、普段読書をしてきていない人がいきなり読んでもヘトヘトになるだけなので、私は名作の漫画版を読むように薦めています。
折角力をつけて難しい本を読みたいと思っているのに!
と思うでしょうが、私はこれらを読んでかなり力が付いたと実感しています。
とはいえ、無理強いはしません。
ヘトヘトになってからでもいいので、覚えておいてください。
漫画版に関することはこちら⇓
それではルールです。
- 難しすぎる本は読まない。
- 興味のある本を読む。
- 小説・新書を中心に読む。
- 偏りすぎない。
- ルールに縛られすぎない。
難しすぎる本を読んでも嫌になるだけです。
長く読み続けるのであれば楽しくなければ続きません。
ですから興味のある本を先に読みましょう。
小説・新書を中心にというのは、ビジネス書や自己啓発本を読んでもいいですけど、本来的に読書力があるといえるのはこの二種類が読めることだと思うからです。
自己啓発系は読みやすいように作られていますし、読んだ知識はすぐに不要になるものばかりです。
「読書力」は小手先の知識ではなく、無くなることのない力です。
ですからその力が付けば軽めの本は労力を使わずに読むことが出来ます。
「偏りすぎない」というのは、小説ばかり、新書ばかりにならないようにという事です。
しかし誰でもそうですけど、一旦ハマったものからはナカナカ抜け出せません。
その時は抜けなくていいです。
思いっきりハマって、飽きるまで関連書籍を読みまくればいいです。
そのうち大概のことが分かるか、飽きてくるので、その時は別のものを読みたいと思うものです。
ですからこれらの注意点のルールに縛られてはダメだという事です。
一番まずいのは読まなくなることですから。
言葉を覚える
「言葉を覚える」というのは社会的な行為です。
なぜなら、自分一人でいる場合は言葉は必要ないから。
言葉は人との交流が前提です。
ですから言葉を覚えれば人との交流が円滑に進みやすくなるんです。
逆に言葉を知らないと誤解を与える、最悪の場合、喧嘩なるんです。
コミュニケーション能力が高い人も、あまり知的でない人だと、人とのイザコザがあったりしませんか。
コミュというのは実践的な技術だからです。
コミュニケーション自体は、たくさんの経験をしていればうまくなります。読書は可能性を広げるものだからです。
作文が上手くなる
言葉を覚えれば、当然、作文も上手くなります。
作文は自分の言葉で気持ちを書くという事でしょう。
「気持ち」の時点では言葉、形があるものではありません。
それは本人独自のものです。
それを社会的に通用する「言葉にする」ことが作文の始まりです。
自分の気持ちがあれば何でも書けるかと言ったらそんなことは無いんですね。
言葉というのは、
- 単語
- 文法
があります。
言葉というのは一般的に「単語」だけを指す場合は多いです。
もちろん読書をすると、書き手は普通は一般人よりも言葉を豊富に使いますから、新しい言葉を覚えるいいきっかけになります。
「文法」というのは、日本人であればわざわざ文法を勉強しなくても覚えていると思いがちでしょう。
もちろん基本的な文法はそうです。
でも、言葉の使い方っていうのは社会に出て覚えることもあれば、身近な友人同士や親子関係であっても、微妙に違ってくるものでしょう。
そういう感覚的な違いを見出すのは大人になってからだったりもします。
そういうものも含めて、「言葉の使い方・文法」とすると、恐らく一生にかけてそれは覚えるものでしょう。
しゃべりが上手くなる
「しゃべり」と「作文」は似ています。
しかし作文がいくらか書き直し可能なのにたいし、「しゃべり」は基本的に訂正不可です。
ですからしゃべりをうまくなるにはもちろん実践も必要。
でも言葉を覚える、話のパターンを覚えることによって、気持ちと言葉の差を埋めることが出来ます。
気持ちと言葉があっていなくてうまく表現できない、最悪の場合は大きな誤解を生んでしまうことだってあります。
「そんなつもりじゃないのに…」
という経験は誰だってあるでしょう。
それを受け取る側の責任にする人がほとんどですが、人に、しゃべりで誤解を与えるのは完全にしゃべる側の責任です。
お喋りの内容によって、人間関係がマズくなりかねない瞬間を誰だって経験すると思います。
その時にあらゆる道筋をあらかじめ経験しておくのに読書は便利です。
この時、この瞬間のとっさの一言で、人間関係は全く別のものになりかねません。
その為だけの読書をしていては続きませんが、こういう効果もあるんだよという事は知っておいたほうが良いと思います。
聞き上手になる
読書は他者の考えを一方的に受け入れることです。
他者の意見を聞くという事も同じ事です。
何度も読書をしていると、1度読んでいて見逃した事柄があることに必ず気づきます。
純文学小説のように内容に意味が深く加えられているようなものの場合は、100回読んでも読み切れないものばかりです。
そういう経験をしていると他者の話し言葉でもよくっくようになり、話している本人でも覚えていない内容を、聞き手のこちらの方が覚えているという事が出てきます。
すると1回読んで「こうだ」と解釈したものが、全然浅いところから物語を読んでいたことに気づくんです。
これは読者がバカだっていう話ではなく、誰でもあることです。
赤ん坊が、「ハイハイ」から「よちよち歩き」へ行くように、プロセスとして絶対に通る場所です。
読書をしているうちに、その著者の意見に反感や意見があって、読書が進まないという話ってよくありますよね。
それってはっきり言って読書経験が無いからです。
読書をしていて書かれていることに一々考えてしまう事はよくあることですが、そんなことよりも、とにかく書かれていることをインプットするというのも一つの技です。
はじめの内はうまく行かないかもしれませんが、読書は技術なので読んでいるうちにうまくなるものです。
とにかく読み進めるというのは初めは不得意であっても、どこまで高等な技術ではないので1年も集中的に読書をしていれば問題なくできるレベルです。
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