自分の頭で考えるには3つが必要です。
読書をする
何となく予想のつくことでしょう。
「自分の頭で考える」ようになるには、 「矛盾をかかえる」ことになるんです。
逆に自分で考えない人は、矛盾がなく何でも信じる人。
読書などして人の考え方をたくさん受け入れていくと、それぞれの考えに矛盾が見えてきます。
でもそれぞれの考え方に納得できる。
こういう場合はどちらに正誤があるのではなく、自分でその時々で選ぶしかないんです。
つまり何事にしても正解はない。
多くの人は世の中に絶対的な正解、真理があって、頭のいい人、社会的に成功している人はそれを掴んでいるものと思いがちです。
私も高校生くらいの時までそう思っていました。
でもそんなことないんですね。色んな考え方がある。だからこそそれを全部統合すると抽象的で、概念的で、実用できない内容になる。
だから実生活で実用するとなると、具体的に考える必要がありますけど、そうなると、他の考え方と矛盾することになります。
自分で考えられない人は、少数の考え方で作られてるから矛盾が少ないんです。
だから楽。
例えば国語と数学とでは得意不得意が出るくらい脳みその使い方が違います。
でもある程度勉強していくと分かることですが、両方には言語という共通点も見つかります。
じゃあ両方は結局は一緒のことだって言って同じに考えてもいいです。
しかし初学者にいきなり同じだと言っても混乱しますよね。
「同じ」だと考えてもいいのは自分自身で「同じじゃん」と思えた時だけです。
発達過程には「レディネス」(順序)があるので、いきなり高等なことを教えても仕方がありません。
さらに、キリスト教と仏教では考え方が違います。
でもたくさん読んでいくうちに共通点も当然見つかってきます。
院生出身のためのブログ入門(ブログ歴10年) - ノーミソ刺激ノート
SNSをする
これは意外に思えるかもしれませんが、昔で言えば「作文をする」ということです。
じゃあそれでいいじゃないかと思うかもしれませんが、自分で日記を作る。
自分で読むだけのために文章を作るというのもいいといえばいいです。
しかし、
- 他者に読まれることを意識して書く
- またはそれに批評されたときに言葉でまた対応する
といったことがまた頭を使う事になります。
文章を書くのは頭で考えることそのものだと思います。
言葉は既にあった言葉、つまり古いもので、過去の遺産です。
それを使って自分の言葉を再構成する。これが考える子いう事です。
考えることは「論理的」であることが重要だと思います。
自分で考えることもまた自分自身で納得しないといけませんから論理的でないといけません。
しかし自分は自分に甘いですから、ツッコミを入れることが少ないんですね。
もしくは自分で納得していても他の視点を持っている人から見れば全然納得できないなんてこともある。
だからこそ他者に見てもらうことが重要です。
自分の考えを他者に見せるのは恥ずかしいと思うでしょうが、普段、ネットで文章を読む機会が多い人が多いでしょう。
「バカだなぁ」と思う事もあると思います。でもそれを書いた人のことはイチイチ覚えていますかね。私は覚えていません。
覚えるとすれば、よっぽど「こいつの文章、考え方はいい」と思えた人で、しかもその人を数か月以上も追って読んだときくらいです。
つまりちょっとやそっとじゃ人は覚えないんです。
ですからどんどん書いたほうが良いです。
友達を作る
これも意外かもしれませんが、友達を作ることによって人と話すことになります。文章を書いて読んでもらう事は時間がかかりますし、その反応を貰えたとしても文面上では細かな反応は分からなかったりします。
しかし友達と話すことによって自分の発した言葉によって人がどんな反応をするのか、という事が表情などを含めて瞬時にわかります。
そして複数人と付き合う事によって人はそれぞれ色んな考え方をしていることに気づきます。
人は放っておくと「人」はみんな同じだと考え勝ちです。
それは実際の経験が無いと分からないし、そう考えないと脳みそがパンクしてしまいますから仕方ないことです。
だから複数人と付き合ったほうが良いと思います。
が、友達が多いからいいとも覆いません。
それについては↓のブログをどうぞ。
友達100人より愛読書100冊のほうが価値があるぞ - ノーミソ刺激ノート
私自身は良く付き合っている友人は基本的に2人です。
多くて7人ですね。
しかし彼らが一斉に一緒に付き合えるかと言ったらそれは嫌で、別々のコミュニティでの友達だからこそ自分自身の自己性も安定する気がします。
自分で考える人は、色んな本を読んでるから「矛盾」が生まれる。
矛盾をうまく作り替える作業が起こるから自分で考えられる。
難しい本を読むことをエンタメにする【ブログの考え方】 - ノーミソ刺激ノート