「左右学」
左右が分からない人っているじゃないですか。
私も若干その気があるんですけど、それって、効き腕の感覚が曖昧な人がそうなることが多いようです。
「左右学」の西山賢一氏。
この本には大体こんなことが書かれています。
- 女性の肖像画はほとんど左向き
- 納豆を混ぜるのは利き腕にかかわらず皆右回し
- 分子にも右型左型があって、自然界には大抵どちらかしかないのに、人工的に作ると両方出来てしまう
- 原子は同じなのに生物には分子によって、どちらかしか効果を発揮しないほど違った物質のよう
いろんなことが紹介されてましたが、
驚いたのは現在、人類は右利きが90%だけど、180万年前は右利きは57%だった。
つまり右利きが徐々に増えていった。
なぜそうなったかというと、まだ仮説段階らしいですが、石器を作るときに左脳が発達したという説。
脳の問題
左脳は論理処理を司り、右脳はイメージ処理を司るんですが、石器を作るときにどうしても左脳が発達したんだろうということです。
なるほど。
なかなか説得力のある仮説です。
西山さんが出ていた番組で、爆笑問題の太田さんが、
古代の人々は訳の分からないイメージとしての恐怖だったりしたものが「霊」として認識されて、どうにか論理的に解決しようと「宗教」のように具体的な正体というものが人間によって作られて右手文化が発達したのではないか。
と論を展開。
世界的には右が優位な文化でなんですね。
それは当然、世の中は右利きが多いっていう理由だと思うんですけど。
例えばインドは上半身の処理は右手で下半身の処理は左手でやるとか、英語で「右」は"Right"で「正しい」という意味ともいうほどで、人類の全てが右優位だという説もあるのに、日本だけどちらが優位というものが無い。
理由は朝廷と幕府とで中心が二つあることが関係してるのではないかなどなど、色々面白いこと言ってましたけど、書いてたらきりが無いのでここまで。
他人を支配する方法。「重力」で支配。 - ノーミソ刺激ノート
漢字としての「左右」
「佑」と「佐」という字があります。
両方とも「たすける」という意味なんですが、何が違うかというと、
「佑」は「天佑」というように、「上からたすけられる事」。
「佐」は「補佐」のように「下からたすけられる事」。
なんとなく「右」の方が優位な感じしますね。
やっぱり利き腕が関係してそうですが、そもそも「人偏」が無くても「右」と「左」は「たすける」という意味があるんです。
つまり、どちらか一方ではどちらかの「たすけ」が必要なんですね。
バランスよくしようという漢字の哲学が垣間見えます。
【語彙力アップ】日本語の歴史について - ノーミソ刺激ノート