読書は良いことばかりじゃない
読書の苦しみは「孤独になること」
読書の楽しみは「個性的になること」
読書をすると自分独自の世界観が出来ます。
でも、普通の人たちと別の世界を見ることが出来るので「自己」を確立することが出来ます。
人間には
- 「他の人と一緒がいい」
- 「他の人と一緒は嫌だ」
っていう2つのアンビバレンツ(矛盾)な欲望があるじゃないですか。
「読書」をすると、それを感じることが出来ます。
でもそれを解決することはできません。
でも、読書によって自分で考えることが出来て、独自の解決策が見つかるかもしれません。
「読書」は少数派
読書をすると
「自分は他人と違うんだ」
という事を意識するようになってきます。
一般の人の多くは読書をしないじゃないですか。
日本人で一か月に4冊も本を読めば、読書量は上位7%
だと聞いたことがあります。
私自身も周囲を見て体感としてそうだと思います。
つまり読書を日常的にする人は少数派ということです。
そして、読書をすると「世界観」が変わります。
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読書をすると世界観が変わる
「読書」の一つの効果は、他者の価値観を吸収することです。
例えば日本人として生活したら、普通はキリスト教のことをほとんど知らないまま、一生を終えますよね。
でも、西洋人の世界観では、『聖書』に関することは普通の一般常識なわけです。
たとえば日本人同士の会話で
「桃太郎みたいな~」
という言葉が出たら、「桃太郎」の物語の全部をイチイチ説明しなくても、一瞬で認識してしまう感じです。
これは「世界観」を共有してるからこそ、できるんですね。
逆に外国人が「桃太郎の~」とかを例え話として話して来たらびっくりしますよね。
同じように、キリスト教に関して「社会の授業」の中で「何となーく」だけ知ってる日本人は、西洋人の日常会話を芯まで共感することは難しくなります。
本当に彼らのことを知りたいなら、そういう所まで知っていないとマズいんですね。
だから読書をすると「世界が広がる」っていうんです。
これは良いことのように思えるじゃないですか。
でも、「読書で世界が広がる」ってことは、ほとんどの人は読書をしないわけですから、「ほとんどの人は世界は広がらない」という事です。
世界が広がる分には問題ないと思うかもしれません。
しかし、知識は「アメーバ」のように、個体であっても繋がって、ひとまとまりになる有機的なものです。
なので、知識同士はどうしても繋がってしまいます。
そうなると、読書で得た色んなことは自分の中で繋がっていって、独自の世界が出来てしまいます。
これが「個性化」ってことですね。
しかも、知識が既にある人は、無い人のことを考えるのが難しくなります。
自分の中で常識になっていることが、他人にないことを、すぐに認識できないんです。
自転車に乗れるようになってしまったら、乗れない人の感覚が分かりづらいのと同じです。
だから「読書してる人」「読書してない人」は、分かりあえるようで、違う世界に住むことになってしまうんです。
だから「読書をする人」が「読書をする人」に出会う確率は少なくなります。
だから両者は喜ぶんですね「一緒の趣味だ!」って。
でもそれは大概はヌカ喜びです。
なぜなら本の数、ジャンルは無限大です。
「読書家」同士が話が合わない理由
だから同じ「読書をする人」であっても、いろいろあります。
- 「ライトノベルばかり」
- 「推理小説ばかり」
- 「歴史小説ばかり」
- 「思想書ばかり」
彼らは「読書をしない人」からすれば同じ趣味の人かもしれませんが、いざ話してみると全然話が合わなかったりします。
スポーツでも競技が違うのと一緒です。
ボクシング選手と野球選手は話が合いそうもないでしょう。
しかも大概は一つのジャンルに偏っているものです。
2~3ジャンル読めるものが有っても、人は読むのに時間とエネルギーを使いますから、複数のジャンルについて話せる人なんて、大学教授のような、お金と時間をすでに使った老人くらいなものでしょう。
まとめると
- 一般人は読書をしない
- 読書をする人は少数派
- 読書をすると世界観が変わる
- 本の数、ジャンルは無限
- 「読書をする人」の中でも、読むものは千差万別
よって、読書すればするほど、世界観が 一般とはかけ離れて「他人とは違う」人になっていきます。
「個性的」はいいこと?悪いこと?
これって「良いこと」のようにも思えますし、「悪いこと」にも思えますよね。
金子みすゞは
「みんな違ってみんないい」
って言いました。
⇓これで。

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けど、一方では、他の人との認識が違ったら「共感」を得られなくなるわけですから、「孤独感」を感じます。
「個性的は良いことだ」
と簡単に言う人がいますけど、それは「孤独」も一緒に受け入れることです。
私自身はそれは悪いことだとは思いませんけどね。
そういう方が人生の深みを味わえると思うからです。
でもそれはあくまで個人的な価値観です。
「人間は社会的な動物」だとアリストテレスは言いましたが、「一般的な人」がたくさんいる「社会」に1人に自分が属しているのが普通なんですね。
マズローの「欲求の五段階説」っていうのもありますが、その中に「所属と愛の欲求」があります。
その上に「承認の欲求」もありますね。
「世界観」を共有することは、他人から「承認」されること、つまり認められることです。
個性化すると人から承認されることが難しくなります。
でもこの図の頂点には「超越的な自己実現」っていうのもありますね。
それを得るには読書が一番の近道だと思います。
それぞれは矛盾し合っているもんですけど、結局自分はどういう生き方をしたいかっていう話なので、「読書」が正解とは簡単には立たしには言えません。
Twitterの私のこういう呟きをしたした。
「読書が趣味」ってだけで「趣味が合う」とは限らない。
— KEC@読書失敗@ブログ@リライト中心モクモク (@kec_twitt) 2019年4月24日
むしろ「読書」はすればするほど
「私は他人と違う」
という事に気づく。
「仲間意識」が強い人は読書しない人たちでしょ。
読書する人は大抵実際の友達が少ない。
しかし本の中に無限に友達ができるんですね。
これって楽しいことですよ。
これに対して、
自分には、「人と自分は違う」という感覚が薄いみたい。本によると、生まれついての育成環境などの要因によって、「人との境界線」が薄まってしまう人が一定数いるみたい。
— 哲学する猫(あっちゃん) (@Philosophic_Cat) 2019年5月3日
本を読んで、この感覚を身に着けていきたい。#哲学 https://t.co/3r53VflzRb
という反応をしてもらいました。
さらに、
確かに分かりづらい書き方でした。
Twitterの場合140字でまとめる必要がありますから、ついつい言葉足らずになりがちなんですね。
人は
- 「自分は人と違う!」
- 「人と同じがいい!」
という矛盾した2つの欲望がありますね。
だから
「人と違うんだ!」
という事だけを強調するのは
「苦しい」(悲しい)
と感じます。
「他人との境界をはっきりさせる」
とは「自分で言葉をこしらえる」ということです。
だから、積極的に自分で「他人と違うんだよ」と自分自身を説得することになります。
それは普通、「苦しい」ことなんですよね。
だから、普通は、無意識に拒絶しちゃうんです。
意識的に「自分は他人と違う」という事を考えるのは、自分で自分を傷つけることに近いから普通はできないんです。
でも読書をしていると意識しなくてもドンドン「今までと違う自分」になっていきます。
知らないうちに一般人と別の世界に行ってるんですね。
だから傷つかずに「個性化」してしまいます。
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