哲学で学んだことを基に生きる。
ということです。
しかしそうは言われても、ボワっとしてますよね。
なぜなら実践しないと分からないからですね。
たとえば私はゴルフはやったことないですけどハマっている人は世界中にいるわけです。
という事はやってみないと面白さは分からないってことですよね。
またはボーリングもそうでしょう。
ボーリングも見てるだけでは面白くないですけど、実際にやってみたら面白いですよね。
だから実際に哲学の本を読んで、なるほどと思ったうえで実際にそれを指針として生きることが実践です。
そもそも「哲学の実践」って何かってことですけど、哲学は手にもって使うことではないので、「実践」っていうと「どういうこと?」って感じになりますよね。
一応「実践哲学」っていう言葉はあります。
これを読んでもあまりピンときませんけど、要するに、考えているばかりではなく、「人間関係」(倫理)と「技術」に活かせる哲学ってことです。
じゃあ実践のほうが大事だからそればかり勉強できるかって言ったら、全部は繋がってるので、それだけを集中的に読むことは難しいですし、非効率だと思うので、哲学史をザっと読み進めることから始めたほうが良いと思います。
「哲学」は道具のように意識的に使うことはできません。
そうではなく、考え方そのものなので、人生で何か問題が起きた時に哲学を基に「言語化」するという事です。
実践だけに集中するのは難しい
読書しても、実際にそれを実践することは別ですよね。
頭で理解していても体で表現ができないんです。
例えば本を読んだりして、人から受けた知恵を自分で試そうとしても人の考え方と自分の行動の相性が合わないんじゃないでしょうか。
その考え方がいくら素晴らしくて感銘を受けたとしても、自分の普段の行動とあまりにかけ離れていた場合、実践に移しづらくなるんだと思います。
臓器移植で拒絶反応が出ることと似てるのかな?(詳しくないでわかりませんが)
要するに、何かに感銘を受けて
「へぇーなるほど」
で済ませるのではなくて、それに対して倫理や技術のためにアウトプットする必要があるんです。
反論又はその感銘をうけたものを更に強化するような具体的な例や、それ以外の方法を自分自身で考えてそれ自体を自分のものにしなければあまり意味がありません。
人間は人から感銘をうけたものは知識にしかなっていません。
だから意識しなければ実行できませんが、自分で編み出した考え方は経験として蓄積されるので無意識に行動できます。
だから結果的に実践してるってことですね。
人間の行動はそのような無意識の行動で日常が形成されていくので日常を改善することが成長の道です。
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