「無意識」があるという事を意識する
無意識にあること自体を意識の上までもっていくことはできません。
例えば「A子さんを好きかどうかが分からない」ってことあるじゃないですか。
でも無意識ではわかってるんですよ。
だから顔が赤くなったり、知らず知らずにドキドキしたりするんです。
そのドキドキをコントロールすることは難しいですよね。
なぜならそれは無意識だから。見えないものは見えないんです。
でも、「無意識がある!」という事を意識することはできます。
何でも自分でコントロールできると思ってはいけません。
ですから意識していることが全てだとは思わないようにしましょう。
それだけで全然違います。
アイデアに活用する
何かしら思いついたけど言葉にはできない、何か思いついているはずなのにそれが何か分からないってことないですか?
アイデアではそういう事がありますね。
これが無意識が意識化した瞬間です。
しかし言語化できていない状態なのですぐに忘れてしまいます。
言語は人間の脳が発達してそういうものを活用するために言語が生まれたという説もあります。
つまりコミュニケーションツールではなく個人の知能の上昇によって言語が生まれたと。
ですから知能労働している人は無意識の活動を意識すると無限の財産が手に入るかもしれません。
意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)
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脳には「上丘」(じょうきゅう)と呼ばれる中脳にある箇所があり、そこに意識はしていなくとも目で見たものを記憶している組織だという。
これは原始的な脳でトカゲなどの爬虫類やカエルなどの両生類の中心的視覚野
として働いており、これまではヒトの場合は反射の中継箇所でしかないと思われていたそうです。
ウィキにもそう書かれていて未だに(当記事更新現在)更新されていないようです。
参考ページ⇓
見ていると意識できなくても“覚えている”脳―視覚野の障害でも無意識に脳の別の部位(中脳・上丘)が記憶の機能を代償―
ここで私が思ったことは、記憶していると思っていることであっても実はもっと記憶していることがあって、訓練しているということの成果以上に実は自分が意識していない成果があるということ。
その成果を得るためには
「馬上枕上厠上」(ばじょう ちんじょう しじょう)
といって
- 移動中
- 寝る前
- トイレ
の時に思い出すあの感覚を得ることです。
つまりリラックスしている状態。
その時になんでもいいのでメモをすればいいでしょう。
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