嫌われる
多くの場合は人に好かれないですね。
なぜなら本を読むと「少数派」になるから。
ネット上で「本を読んでいる」っていう人の言動を見ると、
- 本を読め
- 本を読まないとバカ
- 本を読まないと人間ではない
- 名作(シェイクスピア作品・漢文)を読めないと人間ではない
というような言動があります。
私も本を読みますけどね、確かにこういう精神性になります。
ですから、注意しましょう。
なぜなら文化を知らないと言葉が通じないから。
その国の言語を知っていれば言葉が交わせるわけではありません。
もちろん、最低限のことなら話せますよ。
けど、会話をするって「人となり」を知るってことですよ。
だから、最低限のことだけ話しても意味がありません。
「人となり」を知るにはその人の文化を知ることです。
しかし文化も何も知らなければ会話になりません。
だから本を読んでいる人は会話の相手にもそのことを求めるのです。
こういうことは誰にだって起こります。
「文盲」(もんもう、ぶんもう)というと、現代日本では一般的には「文字が読めない人」のことを指します。
しかし古代中国では「文盲」というと「四書五経」(古代中国の必読書)を読めない人のことをそう言いました。
必読書を読んでいないと「まともな会話」が出来ないからです。
じゃあ我々は「文盲」かって言ったらそうではありません。
あくまで当時の中国の知識層では「文盲だった」って話。
それしか本が無かったという事もありますが、文化そのものだったからですね。
ですからそれを基に会話していたので、それを知らないとまともな会話が出来ませんでした。つまり「文化」も言葉の一部なんです。
「会話」は誰とでもできるものでは無いんです。
機械的な言語が一緒ではなく、文化を含めたもの全体が言語で、それを使えば会話になるんです。
同じ言語を使っていると言っても、同じ「世界観」「文化」を共有していないと、同じ「日本語」の枠組みで話していても出来ない場合があるってこと。
「読書していないとバカ」みたいなことは思ってもいいですし、仕方のないことですけど、不特定多数の人前でそういう事を言うと嫌われます。
それはこれだけ本を読むと、精神的な世界観に影響を与えるってこと。
ですから上記のような言動をしている人を見たら近づかないほうが良いです。
読書による酩酊状態、つまり酔っぱらっているのと同じような状態です。
「君子危うきに近寄らず」
っていいますから、そういう人は静観するのがいいでしょう。
好かれる場合
とはいえ、人は知識を好みますから、頭のいい人は好かれる側面もあります。
そこでのポイントは、
- 知識を押し付けないこと
- 人のために知識を使うこと
これですね。
ついつい自分は知識がある、本を読んでいると思うと、それが良いことのように思えて、無用な衒学(学を披露すること)をしてしまいます。
でもそういう知識は、必ずしも「人のため」にいいものとは限りません。
「知識を持っている」のがいいのではなくて「人のためになる」のが良いんです。
人とのコミュニケーションは「間」(ま)が重要です。
ですから何でもかんでも知識を押し付けるのではなく、相手との間を取って、必要な時に提供するのがいいでしょう。
それは格闘と似ています。
ずっとパンチをしていてもダメで、相手の間合いを取って、「ここだ」という時に攻撃を仕掛けると、クリティカルなヒットを打てるんです。
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読書は酔う
どうしてこういう風に酩酊してしまうかというと
本を読むと発見があって、世界が明らかになる感覚になります。
言葉を覚えるってことにも通じますね。
そうすると今まで見えてこなかったものが見えるんですね。
こういうことを書くと麻薬的な感じにも似ています。
ですから本を読まない人を人間扱いしなくなるんですよ。
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言葉が通じない人のことを英語で「バーバリアン」(野蛮人)というのですが、その語源は、自分の言葉と違う言葉は「バーバー」と意味不明に聞こえるからだとか。
要するに言葉が通じないと、「自分と違う人」と認定するのが人間。
実際は、冷静に考えたらどんな人でも結局変わらないんですけど、それだけ人間は言葉に支配されてるってこと。
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