本への「姿勢」が変わるから
「読みたい本」が「読まなきゃいけない本」
になるからです。
これは単純なことですが、時間と場所が変われば、読む姿勢が変わっていきます。
「買ったはいいものの読まない本」は平気で「10年読まない本」になります。
なぜならキッカケが無くなるから。
読書に限らず「キッカケ」なんてものは一生に数回しか来ません。
読書のキッカケは買ったところで起きるんじゃないんです「読みたい」と思ったその時で、その瞬間を逃したら次は一生来るかどうかも分かりません。
とはいえ、私はそういうこともあってもいいと思っているんですが、嫌であれば場所を変えて読めばいいだけの話です。
例えばそういう試験があるとか、どうしても読まなくてはいけないというのであれば、そういう本だけ持って場所を変えましょう。
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積読が途端に読むようになるのは違う場所で見かけた時。
例えば図書館で自分の家の本棚にある本を見つけたら読んじゃうってことがあります。
じゃあ、家で読んでも同じかって言ったら違うんですよ。
- 読んでる人
- 読まれている本
この二つが同じなのに何で感じることが違うのか。
これは「場所」が違うからです。
場所が違うとどんどん要素が変わってきます。
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そもそも読んでいる本人も、どんどん変わります。
自分はかわってないと思うのはあくまで「記憶」が繋がっているから。
- 昨日読めた本が読めなくなる
- 読めなかった本が読めるようになる
こんなことは毎日繰り返します。
だから同じ人かといったら別人だってこともあります。
昨日の自分と今日の自分では気分も違うし読んでいる情報も違うんです。
だから頭の中に入りやすい言葉と入りにくい言葉が変わるのは同じこと。
同じ本を読んでいても印象なんて簡単に変わるんです。
だから簡単に「読破」「読了」なんて言葉は私は使えないです。
もちろん初心者の人は読むこと自体がイベントですから、「読み切れた!」という達成感で使ってもいいでしょう。
しかし日常の出来事として読書をしたいのであれば日常に当たり前のように毎日同じ本を読むってこともあってもいいんです。
そういう本を「愛読書」っていうんです。
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