「無宗教」は禁句
間違っても「無宗教」という事は止めましょう。
一般的な葬式は仏教だけど、神社にも行くという日本人であれば「仏教」と言っておいた方が絶対に無難です。
とは言え
- 「仏教のことは知らない」
- 「どちらかというと神道のほうが好き」
という人もいるでしょう。
しかし神道について外国語で説明できるかと言ったら普通はできませんよね。
出来たとしても、神道なんて日本だけの宗教ですから相手は大概チンプンカンプンです。
実際私はオーストラリアに行った時に「仏教と神道の両方だ」といったら変な顔をされました。
ですから仏教徒と言っておいた方が絶対に良いです。
それでも説明したい人はこういう本を買って丸暗記するしかないです。
しかし大概はそんな複雑なことを話したいわけではないですよね。
だからソフトに仏教徒と言っておいたほうが良いです。
仮に話をしている外国人が親しい人で、できるだけ正直に言いたいという気持ちは分かります。
しかし、日本の特殊な宗教状況を、日本のことをよく知らない人に言っても誤解されるだけ。
日本人でも説明できないようなことを他国に人に言っても変な人と思われてしまいます。
宗教は大事なことではありますが、そこにとらわれて他の会派がスムーズにいかないという事になりかねません。
細かい宗教事情について言っていいのは、
- 日本に10年以上住んでいた
- 充分な日本人と交流経験がある
この二つを満たしている人じゃないと難しいでしょう。
外国人にならそれくらい入っても良いかもしれません。
「仏教」は無難
そして宗教に関心が無い人でも「仏教」と言っておきましょう。
と言っても仏教のことはなんとなく「拝む」ことしか知らないよ、という人もいるでしょう。
それでいいんです。
世界中の人の中でその宗教の難しい教義にことなんて知ってる人は学者くらいなもんです。世の中の多くの人の宗教感覚は「祈り」「拝む」で終わりです。
だから外国の仏教の仏壇とか見ても「あー日本のと似てるね」くらいのことを言っておけばいいんです。
そんなことより大事なのは他のことを話すことです。
「共産主義」について
繰り返しますが「無宗教」とは言わないようにしましょう。
よく言われていることですけど、無宗教は「宗教を信じない」という意味になって、「共産主義」「唯物史観」(精神的なものは無視)という世界観だという事になります。
実際に共産主義者の人もいるでしょうけど、賢い共産主義者は不特定の外国人に正直に「共産主義者」とは言わないでしょう。
なぜなら危険視されるから。
実際には世界には共産主義者でも宗教家がいますし、日本国内でもお坊さんや神主さんの共産党主義者もいます。
混乱するかもしれませんが、それくらい「共産主義」を含めた「宗教観」というのは十人十色なんです。むしろ重なることの方が稀でしょう。
例外的には中国人には言っても良いかもしれません。
しかし中国人でも共産党が嫌いな人は結構いますからいわないほうが良いですね。
相手が共産党員であれば良いかもしれませんが。
中国における儒教について考える(ほかの宗教も) - ノーミソ刺激ノート
「イスラム教」について
「危険視されるならイスラム教は?」
と思うかもしれませんがイスラム教自体は全然危険ではありません。
世の中の先進国はキリスト教徒が多いですから根っこが同じイスラム教徒でも大概は変な顔はされません。
むしろ今後はどんどんイスラム圏の人口は増えますから、イスラム教がメジャーになっていくことは目に見えています。
観光地に行くと女の人でスカーフのような布(ヒジャブ)を頭に巻いた人が増えましたよね。
あの人たちは大概イスラム教徒です。
むしろ危険視されているのは共産主義です。でも日本では普通に共産党がいるのでそんなに気にならないのが現状。