辞書を読むには肯定派と否定派がありますが、僕は両方ありうると思っています。
以前は否定派について書いたので、今回は肯定的意見を書きます。
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効果
辞書を読むとどういう効果があるのでしょうか。
まず初めにそれをまとめると
- 言葉を覚える
- アンテナが増える
- 他の本が読みやすくなる
こういうことでしょう。
辞書には調べることが本筋ですが、言葉好きの人は辞書を読むという事があります。
ほとんどの人は途中挫折してしまいますが、挫折してもいいのでとりあえず読んでみるという事もありです。
とはいえ、いきなり分厚いのは持つのも重いので、「小辞典」というような薄手のものを持ち歩くといいでしょう。
言葉は出会うことで、その時にはすぐに記憶できなくても、「何となく見たことある」というレベルでも効果はあります。
人生の中では何度も難しい言葉に出会うので、一度だけ出会っておくとある日突然身につくという事があります。
つまり無意識の中に記憶されているという事。
意識できないと不安かもしれませんが、たくさん見ておくとそういう事が実感できるようになります。
これは技術的なもので、体が覚えているというようなことが脳でも起こっているんですね。
そういうことを意識するためにも一応見とくという感覚で読めば良いんです。
繰り返しますが一度で覚えようとしなくてもいいんです。
小中学生の内に辞書を引く習慣が身についていると、大人になっても言葉を調べる習慣が身に付きます。
辞書は調べるものだけど
辞書を調べる習慣が無いと知らない言葉を知らないままにしてしまいます。
単純な言葉の場合は文脈で判断できますが、中学生くらいになると難しい言葉を目にしたりするでしょう。
そういう時にはその都度調べないと覚えることはできません。
でも辞書を読んでいると「あ、これって見たことある」ってことが増えます。
その時は思い出せなくてもそういう風に「見たことある」が重なることでボキャブラリは増えていきます。
「ネットでもいいでしょ」
確かにネットは良いですが、辞書ではそれに関連する言葉も載っているのでボキャブラリの数が増えやすいんです。
例えば「権妻」(ごんさい)という言葉。
これは辞書で調べると
「正妻でない妻。めかけ。ごん。明治初期に用いられた語。⇔本妻。」
というようなことが書かれています。
何となく一夫多妻制だった時のことは分かるし、これで妾(めかけ)という事は分かります。
しかしなぜ「権」の「妻」なのでしょうか。
「権」は一般的には「権利」くらいにしか使い方がわからないでしょう。
そういう事がなかなかわかりづらい。
だから「権」を調べると、
ごん【権】 の解説
1 定員のほかに仮に任じた官位。多く、官位を表す語の上に付けて用いる。権官。「権大納言」「令、正員四人なり。寛平御宇に正二人、―一人となる」〈職原抄・上〉
2 最上位の次の地位。副 (そえ) 。「権僧正」
「般若寺の観賢僧正と云ふ人、―の長者にてありける時」〈今昔・一一・二五〉
3 仮のもの。方便であるもの。
「この提婆達多は、大菩薩の―の示現にてもあるべきなれども」〈十善法語・八〉
全部読んでみると
「最上位よりも下で、添えてあるものだったり、仮のモノ」
だという意味だという事が分かってきます。
そうなると、仏教や神道の宗教者の位の中で「権~」というくらいがどういう感じの人なのかが分かってきますね。
ただ、辞書で調べると指先でパラパラとめくればすぐにみられるものの、ネットで調べつとなると、コピペしたりしなくてはいけません。
大したことのない作業と思いがちですが、ちょっとした調べる方法の簡単さで、次に調べてみよう、読んでみようという意欲は削がれます。
これが本当に大きな違いなんです。
ですから紙の辞書を読んだほうが良いですし、例のように「ごん」で調べると他のその音に関する言葉も見えてくるので、言葉が増えるチャンスが増えるんです。
ちなみに漢和辞典などを見てみると「権」の本来の意味は「秤の分銅」の意味です。
理科の時間に使ったことがあるでしょう。
つまり何かの重さを測りたいときにもう一方の秤のお皿に載せて重さを測る基準になるものです。これが「権」なので、本来調べるものでは無い「仮のモノ」の言う意味になりました。
「権利」もこれから広がって、「利益のバランスをとるもの」という意味になりました。
こういう風に考えていくと「権利」の意味も分かっていたようだった状態から、本来の意味も分かるようになりますね。
辞書を読む利益
私の感覚では一度に調べたり見る単語の数は、
- 紙の辞書:2~10
- ネット検索:1~3
くらいでしょうか。
皆さんも少し考えてみてください。
紙の辞書を開いたときのほうが見る単語の数は1~5くらい増えているはずなんです。
大した数ではないかもしれません。
しかし言葉を調べるという事は一生繰り返す作業です。
例えばそれが10回であれば10倍から100倍、単語の数を見るちゃんつが違ってくるという事になります。
チャンスと言っても
「一回しか見ないからそんなに大きな差は生まれないんじゃないか」
と思うかもしれません。
しかし言葉はすぐに思い出せなかったり、使用できなくても、一度見た言葉は
「なんとなく」
覚えているものですよね。
「あー聞いたことあるような気がする、観たことある気がする」
っていう感覚ですね。
無意識に言葉が増える
これって、その言葉自体は使えなくても次の学ぶ種になるんです。それが言葉のアンテナという物。
どんな言葉でも一回で覚えるという事は少ないです。
何度も出会って覚えるという物。
ですから
一回会ったことがある
と
初めて見た
とでは感覚が天と地ほどの違いがあるんです。
ですからできるだけ多くの言葉にあっておいた方がそれだけ言葉のアンテナ、種が増えるという事。
だから一度に言葉を覚える人用はないんです。何となく見て、無意識の中に落ちてしまったとしてもそれは将来の自分の財産になるんです。
ですから忘れるという事を恐れる必要もないんです。
辞書を読むとは調べるだけではなく、普通の本のように読むという事。
1ページ目からどんどん読み進めていくという事です。
これは普通はできません。
しかしいろいろ方法があります。
辞書を読む難しさ
辞書の紙は、普通の文庫本などの本と比べて薄く作られています。
これは基本的なことですが意外と知らない人が多いです。
ですから小さめの辞書であれば
「これは少し集めの小説くらいの厚さだから、普段読んでる自分なら読めるっしょ」
と思ってなめてかかる場合がほとんどです。
大人になって言葉の意味を調べない人は結構います。
そして知らないまま放っておくんですね。
しかしその場で知らない言葉が出てきたらその場で調べないと一生知らないまま終わることになります。
「そんなチャンスはいくらでもあるだろう」
と思うでしょう。
しかし言葉の数は無限にあります。
その時調べなければ、一生分かりません。
そしてそういうことを実感していないとずっと調べないまま終わります。
難しい本を読むときに見たことのない言葉が出てくると途端に読む気が無くなったりする人はよくいます。
幸い日本語の場合は漢字の基礎が出来ていれば初めての言葉でも意味が分かったりしますよね。
とはいえ全部それで賄えるかと言ったらそんなことはありません。
事前にいろんな言葉に触れることで、言葉に対するアレルギー反応を無くしていく効果があります。
言葉は人間が考えたものなので、ある程度パターンがあります。
漢字の覚え方もそうですが、音や文脈でも理解が出来るようになっています。
そういうことを繰り返していくことで言葉が身に染みていくんです。
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