ノーミソ刺激ノート

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「宗教」を「いらない」と思うのはなぜか

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「いらない」と思う理由

「感情的」なことが悪いことで、「合理的」であること言ことのような風潮がありますね。

でもそもそも人間は感情的な生き物で、それの使い方次第で良いことも悪いこともあります。あえて言えば「刃物」のようなもので要は使い方次第

宗教が要らないと思うのはそれに似ています。

使い方が分からないし、危ない事例をたくさんみてるから「いなない」と思っているだけ。

ナイフが危ないから、いらない

という判断と似ています。

でもそういう判断は子ども的ですよね。

ナイフは確かに危ないから子どもの手の届かないようにしましょうという注意があるのと同じで、上手く扱えないから「いらない」といっているにすぎません

 

人生はそんな単純なものでは無いので、それをうまく使わなくてはいけないときが必ず来ます。

合理的なことだけ教わればよくて、感情的なことを否定しろ、非合理なことは否定しろというようなもの。

 

でもネット上で合理的にふるまっている人はなぜそれが正しいと思っているのかは、想像でしかありませんがそれでお金儲けができているからですね。

お金儲けが出来ればほとんどの悩みは無くなるので、それで自分は救われちゃ気になっているんだと思います。

 

だからうまく使えないとそれで悪い結果が起きることが多く、もうすこし理性的、冷静になればそんな変な結果にはならなかったという失敗が起きることは人生でよくあること。

 

だから「合理的」であることが正義で、「頭のいい」ことだと思いがち。

でもそれは一個の価値観でしかありません

そういう救われない気持ちは昔は宗教に集まっていました。

 

今でもそれでもいいと思うんです。

が、それを悪用する人が居て、それを怖がる人が居て、宗教の持つ濃厚な教養に一般の人が触れていないことが凄く残念に思います。

その反動が「合理主義」ではないかと思っています。

そもそも教わっていない

ほとんどの場合は宗教が何かわかっていないんだと思います。

私も簡単に説明はできませんが敢えて言えば、

合理的でない感情や気持ちを救うもの

と考えています。

人間は感情的な生き物なので感情に左右されます

「感情的」であることはよくない事であるかのように認識されていると思います。

 

でもそんなことないんですよ。

反宗教の反動の合理主義

今世の中は「合理的」ブームでしょう。

ひろゆきさんの「論破」が流行っていたのは彼の合理性がエンタメ化しているからだと思います。

そして簡単に

  • 「優秀」
  • 「頭が悪い」

という簡単なレッテル張りをして短絡的に世の中を裁く様子がブームの要因でしょう。

だから彼と同じ志向をすることが「頭のいい事」で、そうでない「頭の悪い事」幅kぁにしていい事だと小学生くらいだったら思ってしまうと思います。

 

メンタリストDAIGOさんが、非人道的な言葉を配信してバッシングを受けましたが、合理的な人というのは根本に「バカ」であることの差別があると思います。

最近は大学教授レベルの人にまで食って掛かって、彼のマジックから解き放たれている人もいますが、それでも高校生レベルまでの人であればまだ支持者はいる現状でしょう。

なぜなら学校で教えないし、家族でも教えなければ、オウムや他の宗教法人のニュースで

  • 「危ないもの」
  • 「バカが引っかかるもの」

と思うのが普通だからだと思います。

私は普段Twitterで読書、文学、哲学に関してツイートしています。

で、ちょくちょく「いいね」をいただいて満足してるんですけど、哲学の範囲の一環で宗教に関して話をしようとすると心理的にストッパーがかかるんです。

実際話すと「いいね」が少ないんですね。それを考えると

  • 「宗教」的行動によって儲けている実態
  • 宗教の思想

を一個の「宗教」にまとめてしまっている人が多いのではないかと思います。

こういうツイートをするときに何で私の心理的ストッパーがかかるかといえば、日本国内で「宗教」に関しての偏見、無理解が感覚的に分かっているからだと思います。

 

だからこそツイートしないといけないと思ってるんですけど、あくまで自己満足の範囲内でつぶやいています。

みんながみんな教養を身に着けろとは思いません。

が、教養を身につけたいと思う人なら宗教を一つの教養として知っておくべきだと思っています。なぜならそれを知らないとただただ「合理的」「理性的」であることが教養だと勘違いしちゃう人が居るんですよね。

日本は宗教に関して独自の歴史と文化を持つ国です。

神道や仏教、そしてキリスト教や新興宗教が共存しているものの、多くの日本人は自分自身を「無宗教」と認識しています。

この背景には、宗教が社会的に批判的に受け止められる側面が少なからず存在します。

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歴史的背景

日本の宗教観の形成には、歴史的な要素が大きく影響しています。

特に明治維新以降の近代化の過程で、国家神道の確立とその後の宗教弾圧が宗教に対する社会の見方に深く影響を与えました。

1. 国家神道と戦時中の宗教

明治政府は国家の統合を目的として、神道を国家宗教として位置づけました。これにより、神道は国家の繁栄と結びつけられ、多くの日本人にとって神社参拝は愛国心の表現として奨励されました。

しかし、戦時中の神道の利用と戦後のGHQによる宗教政策の変化は、宗教に対する批判的な見方を助長する要因となりました。

2. 戦後の宗教政策

第二次世界大戦後、GHQは国家神道を廃止し、宗教の自由を保証する政策を導入しました。この政策転換により、多くの新興宗教が誕生し、多様な宗教が共存するようになりました。

しかし、同時に宗教団体の活動が過激化し、一部の宗教団体による問題行動が報じられることが増えました。

新興宗教と社会問題

戦後、日本では数多くの新興宗教が誕生しました。

その中には、急速に信者を増やし、大規模な宗教団体となったものもあります。

しかし、これらの新興宗教の中には、社会問題を引き起こすケースも多く見られました。

1. オウム真理教事件

1995年に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。

この事件は、多くの犠牲者を出し、宗教団体の恐怖を植え付ける結果となりました。

オウム真理教は新興宗教の一つであり、この事件により新興宗教に対する不信感や批判が一層強まりました。

2. 信者の搾取と家庭崩壊

新興宗教の中には、信者から多額の寄付を要求したり、過度な奉仕を求めたりするケースがあります。

これにより、家庭崩壊や経済的困窮に陥る信者が増え、社会問題として取り上げられることが多くなりました。

このような事例は、宗教全般に対する批判的な見方を強化する要因となっています。

宗教と政治

日本では宗教と政治の関係も批判の対象となることがあります。特に宗教団体が政治に介入するケースは、世論の反発を招くことがあります。

1. 宗教政党の存在

日本には宗教政党が存在し、その影響力がしばしば議論の対象となります。特に創価学会と密接な関係を持つ公明党は、その政治活動が宗教の影響を受けているとして批判されることがあります。

宗教団体が政治に関与することに対しては、宗教の自由と政治の中立性という観点から、懸念が示されることが多いです。

2. 政治家と宗教団体の関係

政治家が特定の宗教団体と密接な関係を持つことも批判の対象となります。

特に選挙の際に宗教団体が支持母体となる場合、その影響力が問題視されることがあります。

これにより、宗教と政治の分離という原則が揺らぐことに対する懸念が高まります。

彼らは

「国家が推し進めていることが政教分離だから、政党の支持母体が宗教組織であること自体は実は分離の原則に適っている

と意見することがありますが、はっきり言ってグレーゾーンで、意見が分かれるというのが実情です。

意見が分かれるのであれば原則を守っているとは考えにくいですよね。

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現代社会における宗教の位置づけ

現代の日本社会において、宗教はどのように位置づけられているのでしょうか。宗教に対する批判的な見方は、社会全体にどのような影響を与えているのでしょうか。

1. 宗教の形骸化

日本では、多くの人々が宗教行事や儀礼を行いますが、その多くは伝統や慣習として受け入れられており、信仰心とは切り離されています

例えば、初詣やお盆、お正月、クリスマスなどの行事は、日本で受け入れられているから日本は多神教国家だ、という意見をネット上で散見しますが、それはとても幼稚な考え方です。

宗教的な意味合いよりも文化的なイベントとして捉えられることが多いです。

これにより、宗教が形骸化し、信仰心が希薄になる一方で、宗教行事は社会的な繋がりを維持する手段として残っています。

2. 宗教への不信感

前述の通り、新興宗教による事件や問題行動が報じられることで、宗教全般に対する不信感が広がっています。

この不信感は、宗教に対する批判的な見方を助長し、信者が宗教活動を行うことに対する偏見を生むことがあります。

特に若い世代においては、宗教を「古臭い」や「怪しい」といったネガティブなイメージで捉える傾向が強いです。

3. 宗教の再評価

一方で、現代のストレス社会において、宗教が持つ癒しや精神的な支えとしての役割が再評価される動きもあります。

例えば、禅やヨガなど、宗教的な背景を持つ活動がストレス解消や自己啓発の手段として注目されています。

また、自然災害やパンデミックなどの困難な状況において、宗教が持つ共同体としての力が再認識されることもあります。

宗教に対する批判の影響

宗教に対する批判的な見方は、日本社会にさまざまな影響を与えています。以下にその具体的な影響を挙げてみましょう。

1. 宗教離れの加速

宗教に対する批判や不信感が強まることで、宗教離れが加速しています。

特に若い世代においては、宗教に対する関心が薄れ、無宗教を自認する人が増えています。

これにより、伝統的な宗教行事や儀礼の参加者が減少し、宗教団体の存続が危ぶまれる状況も生じています。

2. 精神的な支えの喪失

宗教離れが進む一方で、宗教が持つ精神的な支えとしての役割が失われることに対する懸念もあります。

宗教は、人々に希望や安心感を与える重要な役割を果たしてきました。

そのため、宗教離れが進むことで、精神的な支えを失った人々が増える可能性があります。

3. 宗教団体の変革

宗教に対する批判的な見方に対処するため、宗教団体自身も変革を迫られています。

信者を増やすためには、透明性を高め、社会貢献活動を積極的に行うなど、信頼を回復するための努力が求められます。

また、現代のニーズに合わせた宗教活動やプログラムの提供も重要です。

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