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ノーミソ刺激ノート

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オウムと宗教を嫌う日本人。

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オウムの話題が上がってYoutubeでもオウム関連の動画がお薦めとしてあがってくることが多いですね。

 

これだけのことがあって宗教を嫌うのは仕方のないことです。

が、そこには「宗教って嫌だ」「宗教むり」といったあまりにも幼稚なコメントが目立ちます。恐らく子供でしょうけど、しかしそれは子供だからという理由ではなく日本人全体に蔓延するムードだと思います。

 

これは宗教がまずいのではなく方法がまずいんです。宗教自体はいいものでも悪いものでもなく人間の活動そのものと言っていいでしょう。

でもそういう感想を持つのは宗教に対する認識が低いからでしょう。なぜなら教育されていないからですね。

何も宗教に帰依しろというのではなく、宗教を避けるのではあまりよくないということです。なぜなら宗教は人間世界における文化の根本だから避けようがないんです。それを避けるとなっては学問として勉強すればいいだけです。

そんな大切なものなのに教育されていないというのは教育業界の痛手でしょう。

しかし一方で日本の状況からしてそれが難しいことも問題です。

しかし敢えて理想を言うと今後オウムのような最悪の事態が起きないようにするためにも宗教教育をしていくべきです。

今のように宗教が悪いから何も触れないというのはあまりに教育と未来に対して不誠実ではないでしょうか。

 

オウムは初めはヨガ教室でした。ではヨガ教室がすべて悪いかと言ったら違いますよね。

宗教に関しても同じ事です。オウムの場合は信者の酸素や栄養状態を極端に下げ、恐怖心をもって信者の知性を奪いました。

勉強をするには栄養と睡眠は必須です。ただただ人の言ってることを信じるのではなく、考えながら読書をすればいいだけの話です。

 

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日本以外で宗教自体を否定することとなるとそれは「共産主義」のレッテルをはられることになります。

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決して自分は共産主義じゃないといっても。宗教のような精神世界を信じないのであれば物質主義であり、共産主義であると考えられても文句は言えないんですね。

日本は正確にいえば神道的なんですけど、その神道的な精神文化が長すぎるためにそれが文化どころか、習慣になってしまっているのでもはや宗教的ではないからこそ宗教って何?といった状態になってしまっているとも言われています。

そもそも人間である限り精神的な世界に居ないことはありえません。

なぜならこの文字を読むということだって事務的な文字読解だけではないでしょう。嫌でも私自身の精神的な熱意だって感じながら読むことになってしまいますよね。

その時点で精神世界にいるわけです。

宗教的なことが習慣になってしまっているというのは、

  • なんとなく土足で家に入るのが嫌だ。
  • なんとなくおにぎりを踏みつけたくない。
  • なんとなく初対面の人にはお辞儀をしてしまう。

といったような「なんとなく」の習慣なんですね。

これは親や保護者に教えられたのかもしれないけどそれ自体も忘れて一人であってもついついやってしまう、感じてしまうことです。

じゃあなんで上記のことがだめなのかというのは理由となる文章というものが無いんですね。

例えばキリスト教であれば聖書が全ての根拠になります。

新興宗教であれば教祖の言葉が根拠になります。

ちなみに新興宗教というのは「比較的新しい宗教、19世紀以降の宗教」といわれることが多いです。

でももう一方で「教祖、またはその直弟子が生きている状態」というのを聞いたことがあります。たしかに教祖が生きているのは当たり前ですけど、直弟子も教祖のことにじかに触れているわけですからそれに近い存在というのはわかりますね。

 

しかしその孫弟子ともなると教祖のことから離れるわけですから多くの想像によって生まれる事柄が多くなるでしょう。そういうことは信者だって感じるわけですから偉い弟子であってもその言っていることに説得力が神的にあるとまでは感じられないというのが実情でしょう。

なぜならその宗教が生まれた現場には居ないわけですから、宗教が生まれる臨場感を感じさせることはできないわけです。

 

となるとキリスト教であれ、仏教であれ、教祖も直弟子もいないですがその存在は誰でもわかるわけですね。文書として証拠があるわけです。

しかし神道となると誰が何を根拠に始めたというのが分からないわけです。「誰ということではない」とか「自然発生的に」という風に想像はできます。

が、例えば、しめ縄が何を表すのか、鳥居が何を表すのかというようなことの研究と論文はあるものの結局「古事記や絵巻物に書かれているからこうだろう」という程度のもので、起源が不明ですから何なのかはわからないわけです。わかりようが無いんです。

 

何しろ文字も初めは無かったわけですから。

 

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これからグローバルだなんだと言って英語やら道徳を小学生で授業化とかしてるようですけど、そんな小手先のことではなくて宗教感覚の教育のほうが本来理想的ではあります。

じゃあできるかって言ったら絶対難しいんですけどね。

でもやろうと思えばできるはずなんですよ。

キリスト教、仏教、イスラム教、神道の専門家を学校に常駐させて道徳の時間に別々に話をしてもらえばいいんですから。

宗教家ですし、教育活動ですから謝礼はめちゃくちゃ少なくて済むはずです。

 

英語が話せても宗教感覚が無いっていうだけで世界では一発で信頼失いますから語学教育そっちのけでやったほうがいいんですけどね。

 

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