支配について
人を支配するには情報量を多く持つこと。
情報量を持っていると、重力のように、比較的情報を持っていない人は持っている人に引き寄せられちゃうんです。
人はだれでも情報に引き寄せられます。
読書が嫌いな人がいますけど、それは一度に情報を処理するのが苦手なだけで、看板などに大きく文字が書かれていたりするとついつい読んじゃうじゃないですか。
千葉さんのこのツイートで刺激を受けて最近になって考えてみました。
人はなぜ人の支配下に入るのか。という問題。
— 千葉雅也『デッドライン』発売 (@masayachiba) 2018年10月24日
なんとなくこれが気になってて、その後それとは関係なく、なんとなくツイートで会話してたらこういうことを思いつきました。
なるほど。
— KEC@読書失敗@ブログやってます (@kec_twitt) 2018年10月28日
彼は自分の意見を言っているのではなく、誰かに脳味噌を支配されているんですね。
ふと、人は情報量や人の量などの「情報の重力」によって支配関係が決まってしまうんじゃないか、と今考えてました。
ブログのネタになりそうな刺激が得られました。ありがとうございます。
「重力」ってなにか
重い物質によって空間が歪んで、その歪みのせいで周囲のそれより重くない物質が、坂を滑るように引き寄せられるっていう話です。
情報でもそういうことがあるんじゃないかと思うんです。
そもそも、人は自分より情報量を持っている人に引き寄せられてしまう。
外国語が分からないっていう問題は除いて。
それは意図的にではなく自然に。
言葉がわからない場合は、手品などで超常現象に見せて「カリスマ」になる方法ですね。
「情報量」の具体例
具体例としては三国志の諸葛孔明が「風を吹かせた」っていう伝説です。
軍師、諸葛孔明は戦で相手を火攻めにするために本来、時期的に吹かないはずの「東南の風」を「吹かせた」という伝説があります。
あれは下級の兵士には道術っていう、要するに魔法を使ったってことにしてるんです。
けど、実際は冬至の一時的に吹くという事をは調べていました。
知的な側近は「道術を使った」という事では納得しないものが多いですから側近は孔明がしっかりと地理と気象を調べていたことを知っていた。
つまり
- 下級部下には手品
- 上級部下には教養
という風に、理解度に合わせて「私はすごい」ってことを伝えています。
つまり知能のレベルに拠って支配するのに必要な情報を分けてるんですね。
その情報を分けるにはそれだけの情報を編集するだけの量が必要です。
だから支配側の情報編集能力によって知能の差があっても同じものを信じられるということです。
それは騙したってわけじゃなくていろいろ説明してもしょうがないから、超人的なパワーとして見せつけたんですね。
人を従わせるには「情報」をいかに操れるか、そしてどれだけ持っているかを見せつけるかだと思います。
宗教的な重力について
中学くらいから思ってたのは、同じ宗教でも頭のいい人と悪い人がいるのに同じ世界観で生きていけるのかってことです。
それは前述したとおり、情報を各人に合わせて変えているってことですね。
そういう話は『論語』にもあった通り、教育学にも通じる話です。
教育も結局は生徒を支配しなければなりませんから、学年に拠って言い方を変えたりしなければなりません。
大学で「教育学」を勉強して思ったこと - ノーミソ刺激ノート
宗教を危険なもの、怖いものと思ってしまう人がいますけど、ちゃんと勉強することで色々と面白いことに気づけます。
不思議だと思ってはいたんですけど、某新興宗教に入信している私の同級生は、私の知らない信徒の先輩に関して「あのひとは俺より信じてるから凄い」っていう風に「信じる」ってことを尊敬の値にしてるんです。
つまり、信じている分、その宗教の教祖に近づいているってことだから凄いってことじゃないかと思います。
三島由紀夫と仏教思想について考える。 - ノーミソ刺激ノート
政治上の支配
宗教に関係ないと思われるかもしれませんが、歴史の授業で習った「朝貢貿易」というのも、情報に拠って「すごい」と思わせ、支配する形です。
昔、中国との貿易を「朝貢貿易」という名称で歴史の時間教わりましたが、「朝貢」とは中国の「朝廷」に「貢ぐ」という意味です。
周知の通り、昔は圧倒的に中国のほうが栄えていましたから、日本は、銅や生糸などの加工していない、文化の手が入っていないもの、大したものを送れませんでした。
一方、中国は野蛮である日本に対して自国の文化を見せつけるように、日本が送ったものより文化的な銅銭や織物を送りました。
つまり今のような貿易ではなく、完全に中国から頂いていたんですね。
その代わりに「言うこと聞けよ」っていう中華思想のもとの政治的なやり取りであって、今のような比較的同等な、商売的なやり取りではないんです。
中華思想(ちゅうかしそう)は、中華の天子が天下 (世界) の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想[1]。自らを夏、華夏、中国と美称[2]し、王朝の庇護下とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い夷狄 (蛮族) であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)とも称す[1][2]。
中国語では「華夷秩序」(簡体字:华夷秩序、英語:Hua-Yi distinction)、また中国中心主義(簡体字:中国中心主义、英語:sinocentrism) とも呼ばれる。
でもこのように人間は相手の力という「情報」を元に支配下に下るんですね。
でもそれは悪いことだとは思いません。
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私も読んだ本に影響を受けていますし、両親や学校の先生にも無意識から意識まで影響を受けています。
しかし、その数が少ないと簡単に支配下に絡みとられて、自分の意見が作れなくなるということです。
こういうことは宗教にも使われていますし、当然、政治、経済的にも使われています。
物質で支配されていたように経済に支配されていると思って、今は「資本主義」ということになっています。
けど、その実は全て「情報」に支配されているということを近頃言われています。
結構前ですけど、この本の後半にもそんなことが書かれていたのを今思い出しました。
ということは、人に支配されたくないのであれば、本を読むしかないということです。
といっても焦る必要はありません。
毎日少しずつ読んでいるだけで、日常の問題に疑問を持てるくらいになります。
それが支配の鎖を解くカギです。