積読(つんどく)とは
たくさん本は買ったはいいけど読めていない本のことです。
これを解消するには本を読むしかないんです。
しかし、それは必ずしも買わなくてもいいんです。
- 外で読む
- たくさん読む
この二つがカギです。
場所が変われば読めるってことがあります。
「そんなあほな」
と思うかもしれませんが本当です。
私はトイレや電車、図書館のほうが家より読めます。
もう一つのたくさん読むというのはそもそも知識が無いから読めないという事。
大学の先生には
「本は知識で読むんだ」
と言われましたがその通りで、現状読めないのであれば、たくさん他のレベルの下がった本を読むしかありません。
いちいち、その都度調べながら読むという方法もありますが、それは古文書研究ならいいですが現状研究されているのであればプロが読みやすくしているものを先に読みましょう。
私は大学で漢文を読んでいましたが1文字1日かかることだってあります。
そういうことは極端ですが、そういう風に辞書や検索で調べながら読むより、先に読みやすい本を先に読んでしまった方がかえって読みが進みます。
本を読まなくなる理由
読まない原因は、
- 環境的要因(家の問題)
- 内面的要因(知能の問題)
環境の問題は家ではなかなか本をゆっくり読むことが無いからですね。
私の場合はお気に入りの図書館がいくつかあるのでそこで読む用にしています。
内面というのは、知能の問題です。
買ったはいいけど難しくて読めないっていうことがあるじゃないですか。
私はほとんどコレです。
人生にとって必要だと思うから哲学の本とか、宇宙の本とかそういうのを買うんですけど途中で難しくなって読むのをやめるんです。
環境の問題なら、時間が経てば環境が変わりますから読める可能性が高いです。
けど、知能の問題は自分がどうにかしなければ一生読めません。
「難しいから後で」
という事は読書をする人ではよくあることですよね。
でも注意しましょう。
そのままでは一生読めないという事を。
ではどうすればいいかといえば、他の本を読むこと。
これっきゃありません。
難しいというのはボウっと生きていたらどうにもなりません。
例えば「テトリス」で「ここで真っすぐの棒」が来たら奇麗に消えるのに!
ってことあるじゃないですか。
積読の原因はそういう「欲しいブロック」みたいなものです。
たくさん本は有るのは良いけど、必要な知識が無いから読めない。
そういうものは「消えずに積まれたブロック」と一緒。
「難しい問題」は読まないと解決しない
もう一つの大きな原因は子供の頃は何となく生きていたら解決した問題が多かったことですね。
大よその簡単な問題は、子供から大人までの成長も過程で
「そういうことだったのか」
と解決します。
大人になってもそういう事があるだろうと無意識に期待してるんですよ。
でも大人になってからの難しい問題になってくると、人生経験だけではどうにもなりません。
だからこそ本を読まなくてはいけないんです。
学生時代なら、そんなに真面目に生きていなくても何となく授業に出ていたら耳に入る言葉によっても知能は上がります。
しかし大人になったら仕事のスキルは上がるかもしれませんが、学生のように
「何となく生きてたら知識が上がった」
ということは無くなります。
ですから20代の若者と60代の定年間近の人間がまともに話せたりするんです。
人生経験の差はさほど問題にはなりませんが知能差は会話にガタツキが生じます。
家以外で読む
これが結構効果があります。
家で買ったはいいけど読まないのは家には本を読む以外にすることがあるから。
その誘惑に負けるんです。
ですから外で読みましょう。
図書館で本を読む
図書館では「買うまでは無いけど読みたくなる本」というのが、たくさんあります。
例えば哲学、宗教の本なんかは、今は簡単な本がたくさんあります。
それを買って読むのは良いけど、根本的な所はなかなかわかりません。
それは哲学のような「生き方全体の問題」は人それぞれだからですね。
そういう場合は、大学生や院生が読むような3000円以上の専門書を読むと雷に打たれたような感動が得られることがあります。
簡単な本をたくさん読んでも何だか気持ちが晴れないという場合は、専門書も読んでみましょう。
大きな図書館であれば置いてあることが多いです。
いきなり読むことはおススメしませんが。